2016年05月25日

一点一画 one jot or one title その31

  • 「日影丈吉傑作館」(日影丈吉著、河出文庫)
    目黒の住人としては、「呪いの家」を描いた「ひこばえ」を第一に挙げない訳には参りま せん。「G坂の方からM通に出て芝公園を抜け都心に出る道」「M通にむかう正面に、い つもあらわれるのがその家だった」とあります。この家は「瓦斯会社の出張所」で、結 局、住人一家の命を吸い尽くしてしまうのです。年譜によれば、日影は1951年に目黒 の西小山と不動前に住んでいた時期があったとの由。どの辺りの話なのか調べてみたく なりました。「泥汽車」は、日本に類い稀なるファンタジー小説。開発のために消え去る 自然が少年に一瞬の美を見せてくれます。「東天紅」は横溝正史風の陰湿なミステリーと 思わせて、一夜明けて、東京者の抱える怠惰と虚無を白日の下に晒します。「吉備津の釜」 は曰く言い難い危うさに溢れているものの、『剃刀の刃』的に九死に一生を得て幕を閉じ ます。事業に失敗した男が再起を賭けた紹介状を手に行く先は…。単なるホラー、単な るミステリー、単なるファンタジーに終わらないのが最大の魅力です。
  • 「クアトロ・ラガッツィ/天正少年使節と世界帝国」上下(若桑みどり著、集英社文庫)
    読了後しばし、表紙カバーの狩野内膳と光信の「南蛮屏風」を眺めたことです。著者が 美術史家であるからでしょうか。私の脳裏に浮かび上がった絵図は、16世紀に生きた人 物群像のパノラマでした。ルネサンスの華咲くヨーロッパに渡った4人の少年たち(伊 東マンショ、千々石ミゲル、原マルティーノ、中浦ジュリアン)、彼らを送り出したイエ ズス会のヴァリニャーノ、メスキータ、通訳のジョアン・ロドリゲスやフロイス、3人の キリシタン大名(大友宗麟、大村忠純、有馬晴信)がいます。日本の権力者たち(信長、 秀吉、家康に正親町天皇や足利義昭)、欧州の権力者たち(スペイン王フェリペ2世、教 皇グレゴリオ13世、シスト5世)、息を呑むほどカッコ良い高山右近や黒田孝高、転び バテレンのファビアン、フェレイラも忘れ難い。カトリック信仰を布教した者、通商貿 易した者、キリシタンを守護した者、迫害した者、棄教した者、殉教した者、有名無名 を問わず、紹介される歴史上の人物を血の通った人間として描き切った力量に脱帽です。 「西洋文明に接した日本の知識人の態度はふたつしかない。全力で相手にくらいつきマ スターするか。自分が第一者でいられる日本に回帰するか。第三の道は、おそらく西と 東のあいだに橋を架けることである。しかし、そのためには、その双方を学ばなければ ならない」。21世紀に生きる日本人キリスト者としては、否応も無く「第三の道」を選 ばざるを得ません。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第9巻(カガノミハチ作、集英社)
    マルケルス麾下、スキピオはシラクサ陥落に大きな功績を上げたことで、インペリウム (指揮権)を授けられ、ヒスパニアに遠征、ハンニバル軍の根拠地と成っていたカルタ ゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)を奪還します。うーん。シラクサ攻略戦に燃えないのは、 岩明均の『ヘウレーカ』があったせいかと思っていたのですが、カルタゴ・ノヴァ攻略戦 にも乗り切れません。後に、スキピオが同盟を結ぶヌミディアのマシニッサが登場した のが嬉しかったくらいでしょうか。
  • 「怪奇文学大山脈V/西洋近代名作選【諸雑誌氾濫篇】」(荒俣宏編纂、東京創元社)
    英米独のパルプ・マガジンと仏グラン・ギニョル劇からの選集です。中東クルディスタン を舞台にした「悪魔の娘」(E・ホフマン・プライス)がアクションあり、ファンタジーあ り、エロチシズムありの文句なしの傑作。絞首人とジプシー女の駆け引きを描いた「死 を売る男」(R・L・ベレム)は「ロジャー・コーマン・プロ作品」の味わいです。エコロジ ー系SFの先駆のような「アシュトルトの樹林」(J・バカン)は、ロバート・ヤングの小 品と似ています。特筆すべきは「不屈の敵」(W・C・モロー)です。傲慢なインド人藩主 に両手両足を切断されたマレー人が、驚くべき執念と方法で復讐を果たします。奴隷船 の船長がアフリカの女奴隷に呪いを掛けられる「唇」(H・S・ホワイトヘッド)も同系列 でしょう。圧巻は「最後の拷問」(A・ド・ロルド&E・モレル)です。義和団事件の渦中、 仏領事館に立て籠もった人々の恐怖を描いた作品ですが、ショッキングな結末に震えが 来ます。これらの諸作に散見されるのは、西洋人が搾取し続けているアジア人、アフリ カ人に対する嫌悪感と罪悪感です。現代欧米社会を覆っている、イスラムに対する恐怖 感(イスラモフォビア)を見ても、基本的な構図は変わっていないようです。
  • 「改訂・雨月物語」(上田秋成著、鵜月洋訳、角川ソフィア文庫)
    「浅茅が宿」や「蛇性の淫」は、私としては、溝口健二の映画の刷り込みから逃れられ ません。それでも「蛇性」には「道成寺」が登場して驚きました。この辺りの妙味は、 実際に読んでみなければ分かりません。西行法師が崇徳上皇の怨霊と対峙する「白峯」、 良妻翻り死霊と化して、夫と愛人に祟る「吉備津の釜」が素晴らしい。その「吉備津」 のヒロイン、磯良は、やはり、貴志祐介の『十三番目の人格/ISOLA』の元ネタなので しょうね。「青頭巾」は、溺愛する稚児に死なれた住職が屍姦の果てに、その肉を喰らい、 食人鬼と成り果てて村人を襲う話。これが一番ホラーの味わいです。高野山で一夜の野 宿と洒落込んだ旅の親子が、亡霊の大名行列に遭遇して、句を詠まされる「仏法僧」は、 黒澤明の『夢』の「狐の嫁入り」を思い出させます。
posted by 行人坂教会 at 13:35 | 牧師の書斎から