2016年05月30日

誰もが招かれている【使徒言行録2:36〜42】

聖句「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいる全ての人にも…誰にでも、与えられているものなのです。」(2:39)

1.《行列ぎらい》 最近の話題に、東京都美術館の「若沖展」入館に3〜4時間待ちの長蛇の行列がありました。テレビには「行列のできる法律相談所」という長寿番組があり、最近では、人気店のことが「行列店」「並ぶ店」等と表現されます。私たちは世間の話題に遅れまいと、過敏に成って、メディアに操作され易く成っているのではないでしょうか。付和雷同を自戒すべきです。

2.《ゆとり教会》 私は田舎者で、根っからの「行列ぎらい」ですから、いつも「混雑」ではなく「ゆとり」を探して生きて来ました。現代の日本社会からは急速に「ゆとり」が失われています。「ゆとり」は「ゆたけき」、その意味は「豊」ではなく「寛」にあると考えます。単に時間に余裕が無いのではなく、不寛容に成っているのです。教会の「ゆとり」は霊的な「ゆとり」、貪欲ではなく無欲を、競争ではなく共存を、自慢ではなく謙遜を求めるべきです。私たち自身は貪欲で競争に取り憑かれていて、自慢たらしいケチ臭い存在ですが、神さまの愛は大きく広く深いのです。イエスさまが「ゆとり」を保証するのです。

3.《プレゼント》 ペトロの福音告知を聞いた人たちは「心を突き刺され」て、「私たちは何をすべきか?」と問い掛けます。私たちにも「関係ある」と感じること、「何かしたい」という素直な気持ちが大切です。そこで「悔い改め」「キリストの名による洗礼」「罪の赦し」が挙げられるのですが、実は「使徒言行録」の中では、3つとも神の「賜物」なのです。「条件」ではなく「聖霊の賜物」として「誰にでも、与えられているもの」なのです。「多ければ多いだけ」与えられるのです。教会は、その3つを条件として読もうとします。「聖霊の賜物」も「主の招き」も条件として訳してあります。ケチ臭い話です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:24 | 毎週の講壇から