2016年06月26日

貧者の書籍 Biblia Pauperum

1.早稲田の古書店

早稲田界隈を歩いていて、最近、気付いたのは、古書店の閉店時間が早過ぎることです。午後7時を回ると、申し合わせたように、店主たちがシャッターを閉め始めるのです。以前は、もう少し遅くまで営業してくれていたように思うのですが、私の錯覚でしょうか。先日も、山手学舎の聖書研究会の前に、何軒か古書店を覗こうと足を伸ばしてみたら、悉く閉まっていました。

学生たち(多分、早稲田の)は、未だ通りをウジャウジャ歩いています。何しろ最近の大学と来たら、夜間部(二部)を廃止した結果でしょうか、講義は夜の9時頃までやっているのです。学生が歩いているのに、古書店が軒並みシャッターを下ろしている。このギャップに気付いて、私は衝撃を受けました。それ程までに、昨今の学生さんは本を読まないし買わないのかも知れません。

古本と言えば神保町ですが、転売業者である「せどり」の手を経て、店頭に並ぶので、神保町の値段は「吹っ掛け」です。資源ゴミ同然にして仕入れた書籍を、1万2万で売っていたりするのです。神保町に比べると、学生街ということもあって、早稲田界隈の古書店は適切な値段で販売してくれていて、好感が持てます。神保町は「古書の街」として有名で、まるで観光地のようにして(少なくとも表向きは)賑わっています。けれども、各地の街の古書店の灯火が消えかかっていることに、寂しさを禁じ得ません。

早稲田界隈で、我が一番のお気に入りの古書店は「古書現世」です。向井透史という人が営む、狭いけれども内容の濃い古書店です。この向井さんには『早稲田古本屋街』(未來社)という著書もあります。ここも夜の7時には閉まるのですが、黄昏時に行くと、すぐ近くの「源兵衛子育地蔵尊」が赤い灯明に照らされていて、まるで、つげ義春のマンガの中に入ってしまったような錯覚に陥ります。

2.京都の変な書店

私が学生時代を過ごした京都にも、その当時、数多くの有名な書店がありました。吉本隆明が京都に来ると、必ず立ち寄っていたという「三月書房」は、古書店ではありませんが、店主の思索が垣間見える、凝りまくった品揃えと絶妙の並び方でした。ここで私は、深夜叢書社創立20周年記念レコード『灰とダイヤモンド』7インチEP盤(一柳慧+森田利明+辰己弦楽四重奏団)を買いました。私の宝物の1つです。

河原町三条の「アスタルテ書房」は幻想文学専門でした。靴を脱いでスリッパに履き換えて上がると、応接間と言うか、好事家のための一種のサロンでした。永井荷風、泉鏡花、三島由紀夫、澁澤龍彦、サド、バタイユ、コクトーなどの奇覯本、四谷シモンの人形や金子國義の絵、そして、なぜかフランス製の木馬まで置いてあったりしました。昨年、店主の佐々木一彌さんが亡くなって、今は閉店したと聞きます。私は、牧神社関係の書籍を皆ここで購入したと記憶します。

京都大学のある百万遍には「オデッサ書房」という極左の書店がありました。ここには、一般の書籍は全く無く、極左党派のブックレットが所狭しと並んでいました。そこで私が買い求めたのは、桐山襲の小説『パルチザン伝説』でした。昭和天皇暗殺計画を描いた暗鬱なテロリズム小説ですが、第19回文藝賞候補になり、雑誌「文藝」(河出書房新社)にも掲載されたにも拘わらず、単行本化が中止され、当時は地下出版でしか入手できなかったのです。1度しか行っていないのに忘れ難いお店です。

何年か前に、友人の本郷燎くん(彫刻家の本郷新の孫、俳優の本郷淳と柳川慶子の息子)が遊びに来た時に、『街を変える小さな店』(京阪神エルマガジン)という本を手土産に持って来ました。それは、京都の一乗寺にある「恵文社」という本屋の店長による、書店の存在理由を問い直す刺激的な内容でした。実に一乗寺には「京一会館」という3本立ての名画座があり、毎週そこに通っていた私は、映画を観終わると、「恵文社」でコミックスを買い漁っていたのです。驚いたことに、そこでは、漫画家のサイン本(但し、ガロ系、COM系ばかり)が普通に売られていたりしたのです。

3.書籍の手触りを

修学旅行は別として、私が初めて自分の意志で東京に来たのは1985年のことです。修士論文のために国会図書館で資料収集するというのは表向きで、実際のところは、古本と古レコードを漁りに来ていたのです。友だちのアパートに転がり込んで宿泊所を確保するや、朝から晩まで、お店回りをしていました。

神保町を行ったり来たり、繰り返し往復しました。忘れ難いのが、今は無き「日清堂書店」です。学術洋書の専門店でした。京都にも大谷大学の近くに「至誠堂」という店がありましたが、さすがは東京、質量共に圧倒されたものです。勿論、今は跡形もありません。「北沢書店」は英語書籍専門店ですが、今や絵本児童書専門に成ってしまった1階にも、かつて美術書の洋書が無造作に積み上げられていたのです。映画関係の書籍を安く購入したものです。そう言えば、最近「教文館洋書部」も縮小されて、「キリスト教書籍」のフロアの片隅に間借りするような状態になりました。

洋書は「アマゾン」とかでネット注文する方が遥かに安く手に入るのです。インターネット販売全盛の時代、わざわざ高価な代理料を支払って注文する必要は無いのです。長男の携帯電話で頼めば、『グリモワール』『ソロモンの鍵』等の魔道書も簡単に購入できるのです。それでも、やはり、自分の手に取って、自分の掌で書籍の感触を確かめてから買いたいのです。私などは差し詰め「本の精霊」にでも取り憑かれているのでしょう。

牧師 朝日研一朗

【2016年7月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など