2016年07月31日

灰色のバスに乗って

1.真夏の悪夢

7月26日の未明、変な夢を見ました。残念ながら、前後の物語は、もう思い出せなくなっていますが、とにかく覚えている場面をお話しましょう。

田舎の小学校の校舎の、2階の廊下に立ち尽くして、私たちは廊下の窓から外の風景を見詰めていました。自分の卒業した小学校ではありません。どこかの見知らぬ小学校です。晴れ渡る初夏、遠くには、なだらかな山々、その手前に川の流れ、こちらに向かっては、自然林の点在する田園風景が続いています。

私の周りには、やはり何かを察して廊下に飛び出して来た学友たちがいます。そうです。何か異常事態が起こったのでした。突然、数キロ先の畑で爆発音が響き、土煙がモクモクと立ち上り、やがて、それは上空で「キノコ雲」に変わりました。私の周りの学友たちが悲鳴を上げて「原爆だ!」と叫びました。

しかし、その「キノコ雲」は原爆によるものではありませんでした。原因は竜巻だったのです。私たちのいる窓の下には、大きなプールがあって、そこには、なぜかイルカがいて、いつも2階の窓際までジャンプして、私たちから餌を貰っていたのですが、折り悪くジャンプしたイルカは、旋風に吹き飛ばされてしまいました。私たちはその後、プールに下りて、イルカを水の中に戻してやるのに、とても苦労をしたのでした。

久しぶりに夢を見ました。と言うか、目覚めても覚えているような、生々しい夢でした。階下に降りると、妻から「大変な事件が起こっているよ!」と告げられたのでした。

2.暴力の連鎖

26日未明、相模原市緑区の障がい者施設「津久井やまゆり園」(社会福祉法人「かながわ共同会」運営)に、26歳の元職員が侵入、ナイフと包丁で入所者を切り裂いて行き、現時点で19名が死亡、負傷者は20名に上るとされています。自ら警察署に出頭した男は「障害者がいなくなればいいと思った」との供述をしているとか、容疑者の尿と血液からは、大麻の陽性反応が出たとも報道されています。

咄嗟に、昨年末の米国の事件を思い出しました。カリフォルニア州サンバーナーディノの障がい者支援の福祉施設「インランド・リージョナル・センター/Inland Regional Center」に、男女3名が侵入して、銃を乱射、14名が死亡、17名が負傷したのでした。犯人たちは「ISIL/アイシル」「アル=ヌスラ戦線」「アル・シャバーブ」等のイスラム過激派に影響を受けた連中でした。私が、相模原市の事件と共通性を感じたのは、犯人の1人、サイード・ファルクが「職員」であったという点です。

そう言えば、「川崎老人ホーム殺人」もありました。昨年末、川崎市の介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」では、入居者の老人たちが次々に転落死しましたが、年が明けてから、職員がベランダから投げ落として殺害していた事が明らかになりました。これ程に極端な事例ではありませんが、職員が施設の入所者や病院の入院患者に虐待を加えて「事件化」する事は珍しくありません。忘れてならないのは、反対に、職員が利用者(入所者)から暴力を受けるケースも多々あるという事です。

暴力を振るわないまでも、暴言を吐く入所者もいるかも知れません。あるいは、場合によっては、認知症の悪化などによって恐慌を来たして、結果的に暴れてしまう患者もいるかも知れません。精神障がい者施設でも知的障がい者施設でも皆無とは言えないでしょう。職場環境が劣悪であれば、その職員の受ける痛手も大きいでしょう。このような悪循環(暴力の連鎖)が社会の至る所で起こっているように思うのです。

3.灰色のバス

「津久井やまゆり園事件」の犯人は、「大量虐殺」であるという点で、2008年の「秋葉原通り魔事件」の加藤智大をも思い出させます。薬物依存症の患者であったとすれば、また別の局面の問題にも発展するでしょう。しかし、彼の「障害者がいなくなればいいと思った」という発言には、私たち人間の魂の奥深くにまで根を下ろした、恐ろしい罪を感じないではいられません。

『灰色のバスがやってきた』(フランツ・ルツィウス著、山下公子訳、1991年、草思社)という本を御存知でしょうか。大戦中のナチスによるユダヤ人絶滅政策は知られています。しかし、ドイツ本国と占領地では、25万人以上の障がい者たちもまた「安楽死」の名の下に、組織的に虐殺されて行ったのです。その中には、身寄りのない老人たちも「お国のために戦った」はずの傷病兵も含まれていたのです。

ある日、施設や病院、学校の前に「灰色のバス」がやって来て、行く先も知らされぬまま強制移送され、殆ど全ての人たちが二度と生きては帰って来なかったのです。ドイツ語の原題は「Verschlppt/無理やり連れ去られて、こっそり連れ出されて」と言います。ドイツで出版されたのが1987年です。生き残った者たちが皆無に近かったので、戦後40年以上も知られなかった事件だったのです。

これが「ナチス的な虐殺」だとすれば、「日本的な虐殺」スタイルもあります。今でも障がい児と無理心中をする親御さん、認知症の連れ合いや親と無理心中をする人たちが後を絶ちません。その人たちもまた「灰色のバス」に乗せたのだなと思います。いや、一緒に「灰色のバス」に乗って行こうとしたのかも知れません。正直を言うと、肢体不自由児を抱える私自身の心の中にも「灰色のバス」は、時折り停車しているのかも知れません。

大量虐殺の犯人を許すことは出来ませんが、私自身の魂にも暴力は根を下ろし、幹から枝を伸ばしいて、それが「灰色のバス」の停車場と成っているような気もするのです。

牧師 朝日研一朗

【2016年8月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など