2016年10月22日

ゴジラとは何か?

夏休みの終わり、子どもと一緒に、映画『シン・ゴジラ』(庵野秀明監督)を観て来ました。一昨年も、アメリカ映画の『GODZILLA/ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)を観に行ったのですが、日本映画としての「ゴジラ」は、2004年の『ゴジラ/FINAL WARS』(北村龍平監督)以来ですから、それこそ12年ぶりになります。あの時には、家族四人揃って観に行ったのですが、「まだ札幌に住んでいたのだ」とか「二男にとっては、あれが映画館デビューだった」と思い出すと、胸が熱くなります。

さて、「ゴジラ」は漢字で「呉爾羅」と表記されます。大戸島(架空の離島)で古来「荒ぶる神」として畏れられる怪物の名前でした。ビキニ環礁における水爆実験のために被爆して目覚めた恐竜に、その名前を冠したというのが、第一作『ゴジラ』(1954年)の設定なのです。映画の中では、「呉爾羅」の怒りを鎮めるために舞う、神楽も見ることが出来ます。

そもそも「荒ぶる神/荒振神」とは、「高天原」系の神々に服属しない地方神のことです。朝鮮半島からやって来た「天孫族」が朝廷の始祖と見なされる一方、それに敵対する「八岐大蛇/ヤマタノオロチ」は先住民「出雲族」の象徴なのです。「ヤマトタケル/日本武尊」を倒す「伊吹大明神」も「牛のような大きな白猪」、もしくは「大蛇」とされています。

2001年の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ/大怪獣総攻撃』では、ゴジラは太平洋戦争の死者たちの残留思念の集合体、つまり、怨霊であり、「兵器では決して殺せない」と断言されていました。眼球が白濁していて、ゾンビ、即ち「生ける死者」を思わせる造形でした。この作品では、ゴジラが「呉爾羅」と表記されるのみならず、この怨霊から日本を護るために、死力を尽くして戦いを挑む「護国三聖獣」のバラゴン、モスラ、ギドラも、それぞれ「婆羅吽」「最珠羅」「魏怒羅」と表記されます。

民俗学者にして「東北学」の提唱者、赤坂憲雄が1992年に発表した論考「ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?/三島由紀夫『英霊の聲』と『ゴジラ』が戦後天皇制に突きつけたものとは何か?」に触発された作品だったのです。

日本には、怨霊を祀り上げて守護神に変える信仰があります。大宰府に左遷されて憤死した菅原道真を祀る天満宮、平将門の首を祀る神田明神、讃岐に流されて悶死した崇徳上皇を祀る白峰宮や白峯神社、金刀比羅宮…。靖國神社の祭神(「英霊」)も同じです。怨霊でありながら、日本を代表するキャラであるゴジラもまた、その系譜に属しているのです。

ゴジラのフィギュアは、美少女フィギュアと同じくらい、世界中で人気があります。その意味では、まさに「偶像/アイドル」と言っても良いでしょう。しかし、幾らマニアでも、それに跪いて祈る人はいません。旧約聖書が非難する偶像と同一視して、忌み嫌う必要はありません。しかし、このような映画のキャラ(しかも、怪獣)の背後にも、日本独自の信仰が流れていることを、私たちが見過ごしてはなりません。


【会報「行人坂」No.253 2016年10月発行より】

posted by 行人坂教会 at 20:54 | ┣会報巻頭言など