2016年11月28日

富める者、貧しき者【Uコリント8:8〜15】

聖句「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(8:9)

1.《貧富の差》 数年前『リッチマン、プアウーマン』というドラマがOLや女子学生の間で話題でしたが、その題名は、米国の劇作家アーウィン・ショーの大河小説『富めるもの貧しきもの/Rich Man,Poor Man』のモジリです。ドイツ移民の家庭に育った3人の子たちが各々、激動の時代を生きる中で、貧富の差に関係なく、人間としての苦悩と喜びを経験していくのです。

2.《出会い系》 「箴言」22章2節に「富める者と貧しい者とは共に世に居る/全てこれらを造られたのは主である」とあります。この聖句は、イエスさまの「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」にまで反響しています。しかし「経済格差も主の御心」とばかりに、現状追認主義的に受け止められ兼ねません。新共同訳は「金持ちと貧乏な人が出会う/主はそのどちらも造られた」と訳しました。両者の「出会い」の中に、神の創造の御業が顕われるのです。主の御心は「出会い系」なのです。富める者と貧しい者とが出会い、そこで人は「互いに生きる者」と成るのです。そのことを、神は望んで居られるのです。

3.《降誕の夜》 世間では、クリスマスは楽しく豊かなイベントと捉えられていますが、聖書の描くクリスマスは貧困状況です。イエスさまは泊まる場所も無く、寒々しい家畜小屋か洞窟にお生まれになったのです。幼稚園の聖劇なら、意地悪な宿屋の主人か女将さんの出番です。家畜小屋を提供する比較的優しい宿屋も描かれるでしょう。ところが、聖書には、そのようなコミュニケーションが一切欠落しています。全く「出会い」が存在しないのです。目に見えにくい現代の貧困問題との共通性を感じます。しかし、弁解は禁物です。私たち自身が見ようとしていないのです。クリスマスに出会うのに、貧富の差は関係ありません。豊かさは貧しさに、貧しさは豊かさへと変えられるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:49 | 毎週の講壇から