2016年12月12日

我らが人生の客【黙示録3:14〜22】

聖句「見よ、わたしは戸口に立って叩いている。誰かわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし…」(3:20)

1.《お客様》 三波春夫の決め文句は「お客様は神様です」でした。お笑いのネタに使われて、今ではクレーマーの常套句にすら成ってしまいましたが、本来は三波の芸人としての矜持を語る言葉だったのです。芸人たる者、歌う時には、観客を神と見立てて、神前で祈る時のように、澄み切った敬虔な心に成って、最高の芸を披露するべし、それが三波春夫の信条だったのです。

2.《訪問者》 「お客様は神様です」は比喩に過ぎませんが、本当に「お客様が神様」だったら、どうしましょうか。キリスト教の歴史には、そんな物語や伝承が数多くあります。トルストイの『靴屋のマルチン』(正しくは『愛あるところに神あり』)の創作は有名です。芥川龍之介の『きりしとほろ上人伝』は「聖クリストフォロス」の、フローベールの『聖ジュリアン伝』は「聖ユリアヌス」の伝承の翻案で、いずれも「黄金伝説」から採られたものです。見ず知らずの旅人を迎え入れ、背負って川を渡したら、あるいは、その冷え切った体を必死に温めたら、それがキリスト御自身であったという展開です。

3.《戸口に》 人生も「客を迎える」ことに似ています。大勢の人たちが私たちの人生を訪ねて来ます。客は人間だけではありません。私たちの人生には、苦難と死という訪問者がいます。しかし、苦難と死を経て初めて、私たちは神に近付くことが出来るのです。苦難と死を乗り越えられるようにと、キリストが私たちの客と成って下さるのです。W・ホフマン・ハントの絵画「世の光」には、カンテラを手にして、閉ざされた扉を叩くキリストが描かれています。扉には取っ手が無く、内側からしか開けられません。時刻は信仰と希望と愛も眠ってしまった真夜中、扉には蔦が絡んでいます。主を迎え入れ、愛する者、信じて希望を抱く者として、主と共に生きていこうではありませんか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から