2016年12月20日

一点一画 one jot or one title その35

  • 「世にも奇妙な人体実験の歴史」(トレヴァー・ノートン著、赤根洋子訳、文春文庫)
    18世紀英国の医師、ジョン・ハンターは墓場の死体を使って解剖実験を繰り返したこと で有名ですが、自分のペニスに淋病や梅毒患者の膿みを塗り付けて、伝染の実験をして いたそうです。死体の解剖などは序の口、死刑囚、受刑者、売春婦、孤児、障害者、黒 人奴隷、貧民などが人体実験(生体実験)の材料にされて来た長い歴史がありましたが、 読み進むにつれて、医師自身、あるいは助手、研究員を巻き込んでの、自分の体を張っ た壮絶な実証実験が中心に成ります。ところで、私の大学時代の友人は京都府福知山市 の出身でしたが、「高校時代に日当3万円のバイトをした」と自慢していました。731 部隊の医師が創立に関わった製薬会社「ミドリ十字」で、研究被験者として試薬を服用 するバイトでした。また、私たちの受ける「治療」の施術、投薬もまた人体実験の延長 線上にあるのです。
  • 「くじ」(シャーリイ・ジャクスン著、深町眞理子訳、ハヤカワ文庫)
    有名な表題作は、あちこちのアンソロジーで紹介されていますが、改めて読み直しても 恐ろしい。くじ引きの行なわれる6月27日は、アメリカの学校では夏休みの開始日に 因むのでしょうか、それとも夏至に当たる「洗礼者ヨハネの誕生日」6月24日のモジ リでしょうか。私のお気に入りは、鶏を噛み殺してしまった飼い犬の処分法について、 村中の人たちが話題にする「背教者」です。死んだ鶏を犬の首に括り付けて取れないよ うにして、腐るに任せるとか、牝鶏に犬の目玉を突かせるとか、腐敗して異臭を放つゆ で卵を食わせるとか、愛犬家が失神しそうな話がこれでもかと出て来ます。愛書家とし ては「曖昧な七つの型」が印象的です。予想通りの平板な展開のはずなのに、なぜか忘 れられないのです。古書店主のハリス氏の感情が欠落しているからでしょう。ブルジョ ワ婦人たちの偽善的な親切を嘲る「アイルランドにきて踊れ」、若いミセスがNYの雑踏 の中で身動き取れなくなる「塩の柱」(ソドム滅亡の瞬間を振り返り見てしまったロトの 妻のこと!)も大好きです。
  • 「ゴールデンカムイ」第8巻(野田サトル作、集英社)
    本作において、専らコメディリリーフを担当している脱獄王、白石由竹(モデルは「昭 和の脱獄王」白鳥由栄)の過去が描かれています。お笑い半分に描かれてはいますが、 その一途な生き方は、固いパンの欠片を懐に隠し持つことで、希望を繋いで生き延びる 短編小説(フランチスク・ムンテヤーヌの「一切れのパン」)を思い出させます。土方歳 三と永倉新八が昔話をしながら、若き日の姿に戻る場面は、マンガならではの味わいが あります。しかし、何と言っても、今回の見ものは第89話「沈黙のコタン」〜第90話 「芸術家」でしょう。「ジャンプ」らしい凶暴な大立ち回りが描かれています。やはり、 これこそ、このマンガの真骨頂と言いたいところですが、何やら編集者から「そろそろ お願いします」と頼まれて描いたファンサービスのような気がします。
  • 「兵器と戦術の世界史」(金子常規著、中公文庫)
    扱われているのは陸戦のみ。海戦空戦は、艦砲射撃と航空機爆撃以外は扱われていませ ん。歩兵と騎兵、重騎兵と軽騎兵、大砲と小銃、砲兵と戦車、白兵と火力などの対立軸 で、兵器運用と戦術の歴史が描かれています。日本陸軍には、曲りなりにも勝利してし まうと、旧式な兵器と稚拙な戦術を見直そうとはせず、ひたすら精神主義と白兵銃剣主 義に走る悪い癖(貧乏性)が最後まで付いて回りました。しかし、過去の勝利の喜びや 敗北の苦みが原因で、1つの戦術に固着してしまう傾向は、フランス陸軍にもドイツ陸 軍にもあるみたいで、少し安心しました。1人の人間に人柄があるのと同じように、軍 隊にもお国柄が出てしまうようです。失敗の本質を見極めず、放置すると道を誤って、 同じ失敗を繰り返し続けても、中々改まらず、体質改善に相当の時間(50年、百年)を 必要とするようです。裏を返せば、自身の成功例に囚われ過ぎてしまうという事でもあ ります。
  • 「誕生日の子どもたち」(トルーマン・カポーティ著、村上春樹訳、文春文庫)
    礼拝のメッセージの中で『ティファニーで朝食を』を採り上げたので、何となく読みた くなったのでした。「感謝祭の夜」「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」「おじいさ んの思い出」は、著者の幼少年時代の思い入れがたっぷりと詰まったミンツパイやミー トパイのような連作です。やはり、少年の親友、スックの存在感や言葉は圧倒的です。 表題作に登場するミス・ホビットも魅力的です。それは、彼女の命が不慮の事故によって 突然に断たれてしまい、「失われた」という悲しみのせいかも知れません。勿論、その他 の諸作も、「失われた」少年時代であるが故に愛惜に満ちているのです。
posted by 行人坂教会 at 15:52 | 牧師の書斎から