2017年01月16日

平和があるように【マタイ10:5〜15】

聖句「相応しい人は誰かをよく調べ、旅立つ時まで、その人のもとに留まりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。」(10:11,12)

1.《挨拶禁止規約》 昨年、神戸のマンションの住民総会で「互いに挨拶は止めよう」との提案が出て、規約として明文化されたことが話題になりました。何とも寂しい時代に成ったものです。挨拶禁止を提案したり、反対に挨拶運動を強引に推進したりするのは、私たち自身が「顔見知り」への信頼感、延いては、他者を吟味して見極める判断能力を失ってしまっているからです。

2.《判断停止状態》 人間関係に限らず、聖書でも教会でも、信仰でも宗教でも鵜呑みにするのは正しい歩み方ではありません。疑い、吟味した上で、勇気をもって踏み出すのです。「信ずべきものは信ずる」のです。勿論、誤りもありますが、失敗は次に進むステップです。現代人は、そのプロセスを避けて、マスコミ報道やネット情報、世論調査などに判断を委ねています。しかし、判断停止状態に陥っている方が、操作誘導され易いのです。「振り込め詐欺」が流行する世相と軌を一にしています。子どもたちも「顔見知り」に挨拶せず、血の通わない怪しげな「ネット住人」だけを相手にして成長しているのです。

3.《平和の挨拶を》 イエスさまは12人の使徒に「権能」を与えて「医療伝道」に派遣しています。無一物での旅でしたが、町や村に入ったら、衣食住を与えてくれる「相応しい人/相応の値打ちのある人」の厄介になるように勧めているのです。しかし「相応しい人」「相応しい家」かを見極めるのは大変だったと思います。時には、無礼な応対を受けることもあったはずです。パウロの手紙には「使徒」「兄弟」と偽って詐欺紛いを繰り返す者もいたようです。そんな旅人を受け入れる側でも、各々に相応しい対応が求められます。誰に対しても「平和があるように」という祝福の挨拶を交わし、祈る者でありましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から