2017年04月01日

旭日亭菜単(続き)その37

  • 「ヒストリエ」第10巻(岩明均作、講談社)
    対アテネ・テーベ同盟軍のカイロネイアの戦いです。ここまで引っ張った割りには、戦闘そのものは、あっさりと終わります。アレクサンドロス王子の「撫で斬り駆け」、敵陣背後から単騎で、数人ずつ敵の槍兵を斬殺しながら、馬で走り抜けるのですが、岩明らしく切断された首や顔半分が飛ぶ瞬間の「切り株」系描写が満載です。ダミアン・ハーストの美術作品とか好きなのでしょうね。それにしても、岩明はアレクサンドロスを「壊れた人間」として描くつもりなのでしょう。あの斜視のようになった両眼は『ヘウレーカ』のハンニバルの目と同じでしょう。マケドニアの長槍歩兵が反撃に転じる場面、突き出した槍の穂先がブニュッと歪んで見える構図は感動的ですらあります。
  • 「逆行の夏/ジョン・ヴァーリイ傑作選」(ジョン・ヴァーリイ著、浅倉久志他訳、ハヤカワ文庫)
    原子力災害後の世界、視聴覚障害者のコミューンでの生活と交歓を丁寧に描いた「残像」、月の周回軌道に浮かぶ娯楽施設「バブル」を舞台に、人体補綴装置「ボディーガイド」を装着した女性の愛と性、その恋人の共苦と別れを描き切った「ブルー・シャンペン」、この2作が圧巻でした。重度のハンディキャップを持つ人が体験する世界観、それを共有した時に生まれる認識の変化、それが、そのままSFとして昇華されているのです。巻末の「PRESS ENTER■」も、朝鮮戦争での捕虜体験の後遺症に苦しむ初老の男と、ポルポトの大虐殺を生き残って米国でPCプログラマー(ハッカー?)になったベトナム人の女性との恋愛ですが、一種の異文化間コミュニケーションとして読みました。表題作も含めて、異質な者たちと交流した時に生まれる意識変革が共通テーマです。表題作以外は、どの作品も、結末は苦々しい味わいです。しかし、それこそが人生の、この世界の現実なのです。それにしても、後を引き摺るなあ…。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第11巻(カガノミハチ作、集英社)
    東ヌミディア王国のマシニッサが、カルタゴ(ハンニバル)側からローマ(スキピオ)側へと転向する重要な展開。そして遂にアフリカに渡ったスキピオ軍団が、西ヌミディアのシュファックス、カルタゴのジスコーネの連合軍を撃破します。少し気になったのは「ドドドドッ」と歩兵が進撃する会戦場面など、明らかな手抜き画が混じっていますね。緻密な画を描く作者だけに気になってしまいます。
  • 「ゴールデンカムイ」第10巻(野田サトル作、集英社)
    詐欺師の鈴川聖弘は『クヒオ大佐』で知られる実在の結婚詐欺師がモデルでしょう(北海道網走の出身だしね)。『リング』の貞子の母親のモデル、千里眼の御船千鶴子も(三船千鶴子として)、「三十年式小銃」の開発者として有坂成章も(有坂成蔵として)登場します。名前が微妙に改変されているのは、飽く迄もフィクションということでしょう。それにしても、このマンガのキャラ、新撰組の土方歳三、永倉新八は幕末、脱獄王の白鳥由栄(白石由竹)は戦後、「クヒオ大佐」は70〜90年代と、時代を無視していますので、既に伝奇物としては破綻しているのです。鶴見中尉の片腕、薩摩隼人の鯉登少尉が登場、「ちんちんぬきなっもしたなぁ」に始まる薩摩弁の応酬は面白かったです。
  • 「あまたの星、宝冠のごとく」(ジェイムズ・ティプドリー・ジュニア著、伊藤典夫・小野田和子訳、ハヤカワ文庫)
    ティプドリー・ジュニアの作品集だけに、どの作品も一捻り二捻りしてあります。「悪魔、天国へいく」は、神の訃報を受けて天国を弔問したルシフェルが、天国再建計画をペトロと話し合ったりします。勿論『聖☆おにいさん』のように、ほのぼの路線に流れたりはしません。異星生物とのコンタクトを描く「アングリ降臨」も「いっしょに生きよう」も「天使もの」の一種と見て良いでしょう。本の題名からして、聖母マリアを讃える表現です(イヤミのつもりでしょう)。祈りを聴いてくれないキリストへの苦言もあります。「雀はもうずいぶん長いこと、顧みられることもなく、地に落ちつづけている」「彼≠ヘかなり耳が遠くなっていて、とくに女性や子どもの高い、かぼそい声が聞こえにくい状態だ」…。但し、彼女にかかれば、エコロジストもフェミニストも、宗教者も理想主義者も木っ端微塵です。貧困女性たちが私生児の赤ん坊をセンターに引き渡す「肉」、ブルジョワ娘への嫌悪だけで書かれたと思しき「もどれ、過去へもどれ」、少女向けファンタジーの悪意に満ちた改変「すべてこの世も天国も」…。夢も希望も情け容赦なく打ち砕いてくれます。やはり、私としては、薬物依存症兵士の復讐物語「ヤンキー・ドゥードゥル」が最も重いボディブローでした。
  • 「洋ピン映画史/過剰なる「欲望」のむきだし」(二階堂卓也著、彩流社)
    半年前に同じ彩流社から出た『ピンク映画史』の姉妹編です。長澤均の『ポルノ・ムービーの映像美学』が綿密な分析による研究書であるとすれば、二階堂先生の本は同時代を伴走した人による証言集でしょう。「洋ピン」とは、外国のポルノ映画を映倫の検閲を通すために、輸入した配給会社が自ら削除、ベタ加工、ボカシ、トリミング、マスクがけ等の処理を施して、改変された代物のことです。結果的にハードであれソフトであれ、日本のピンク映画のような作品が出来上がるのです。かの『ディープ・スロート』に至っては、更にピンク映画の向井寛監督が追加撮影をして(2千万円もかかったとか)、1時間分のフィルムを継ぎ足して日本公開版を完成させたのです。レイモンド・バー主演の『怪獣王ゴジラ』の比ではありません。私も「別冊スクリーン」の愛読者でしたから、70〜80年代の作品紹介には、胸がときめきました。最近では、結構、ネット上でノーカット版が鑑賞できる作品もあったりして、すると、あの時代の「洋ピン」って何だったのよ!?と…。まるで鎖国時代の出島みたいです。
  • 「プリニウス」第5巻(とり・みき+ヤマザキマリ作、新潮社)
    無頭で胸に顔のあるブレミュアェ族、蛇人間ヒマントポデスも登場。と言っても、放浪の瘋癲老人の世迷言としてですが…。老人の語るパルミュラの風景は、星野宣之の『妖女伝説』で経験済みですが、一瞬でも出て来るのは嬉しいです。そして、シチリア島に上陸したプリニウス一行は、ストラボネ山の噴火に遭遇するのでした。昔、ロベルト・ロッセリーニ監督、イングリッド・バーグマン主演の『ストロンボリ/神の土地』という映画を観たことがあります。それにしても、ウミウシ、恐るべし。
posted by 行人坂教会 at 13:32 | 牧師の書斎から