2017年04月10日

わたしがあなたを選んだ【ヨハネ15:11〜17】

聖句「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。…わたしがあなたがたを任命したのである。」(15:16)

1.《チャンネル》 ふと気付くと、リモコンを手にチャンネルを回し続けていることがあります。商品展示の仕方でも、商品が多過ぎると、お客は選ぶのを諦めて、何も買わずに出て行ってしまうそうです。選択肢が多過ぎると、却って迷いや思い煩いが増えるのです。人生、何をどう選択したところで挫折や不調が待ち構えています。その意味では「置かれた場所で咲きなさい」です。

2.《選ばれた私》 私自身も「牧師をやめよう」「クリスチャンやめたい」と血迷うことが何度もありました。取り返しのつかない失敗をしたり、自分の不甲斐無さに直面すると、信仰もガタガタです。しかし、「私があなたを選んだ」の御言葉に支えられています。「なぜ私などが?」との疑問が消えて無くなる訳ではありません。むしろ、それを自身への問い掛けとして、引き受けて生きるのが信仰生活ではないでしょうか。「選ぶ/エクレゴー」とは、適当な選択ではなく、イエスさまの一押しの「大抜擢」「引き抜き」なのです。

3.《接ぎ木の枝》 何のために「選ばれた」のかと言えば、「実を結ぶため」です。葡萄の枝は根や幹から離れた所に「出て行って」実を結んでいます。「紐付き」ではなく、私たちの自由意志や自主性が大切なのです。求められているのは「祈りの業」と「愛の業」です。新約聖書の言う「実り」とは、人に精神的道徳的な変化をもたらし、陰ながら人を支えることです。ラテン語の「選ばれた葡萄」は「接木用の葡萄の木」を意味します。私たち自身は背伸びしなくても、無理に善人に成らなくても良いのです。弱さを抱え、挫折に塗れた私たちを、主は「そこがいいんじゃない!」と御身に接ぎ木してくださるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から