2017年05月22日

希望が生きる力だ【ローマ8:18〜25】

聖句「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(8:25)

1.《希望という名》 1970年、シャンソン歌手の岸洋子が「希望という名のあなたを訪ねて…」と歌って大ヒットしました。その頃から、親が子に「希望」を意味する名前を付けるようになりました。名付けは、新しく生まれた子に親が託す願い、親の祈りです。「信じる」「愛する」に比べると地味ですが、「望む」という価値観も、徐々に日本社会に浸透しつつあるのです。

2.《主を待ち望む》 親子の路線対立が表面化するのは、ズッと後の話で、誕生直後には、親も子を純粋な「希望」として抱き締めます。手塚治虫は90年代の講演で「子どもは未来人」というスローガンを広めました。しかし、ロシアの教育学者ソロベイチクは、80年代の著作で、子どもは我々の未来ではあるが、人としては成熟していないので、未来人にする責任、未来を用意する責任は我々にあると言っています。ヘブル語では「希望/ティクヴァー」は「待ち望む/カーヴァー」から来ています。希望とは待ち望むことです。ぼんやりした未来志向ではなく、主の救い、主の平和、御心の実現を待ち望むことなのです。

3.《産みの苦しみ》 新約聖書で「希望」を考える場合、「苦難」が前提になっています。希望は「現在の苦しみ」から生まれているのです。人間だけではなく全ての被造物が「虚無に服し」「呻き」「苦しんでいる」のです。但し、この苦しみは「産みの苦しみ」です。それ故に「希望」なのです。しかも、独りでは無く「共に呻き、共に産みの苦しみを味わっている」のです。「信・愛・望」は観念ではなく「信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐」です。現代は、誰にとっても生き辛い時代ですが、私たちが「目に見えないものを望むなら」、それは「産みの苦しみ」であると分かるはずです。主は贖って下さいます。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から