2017年06月05日

旭日亭菜単(続き)その38

このレヴュー、大高宏雄さんの『昭和の女優/官能・エロ映画の時代』を採り上げたことがキッカケで、アニメ演出家の西村大樹さんに発見して頂き、大高さん御本人にも覗いて頂けたとの由。感無量です。ありがとうございました。

  • 「居心地の悪い部屋」(ブライアン・エヴンソン、アンナ・カヴァン他著、岸本佐知子編訳、河出文庫)
    ジョイス・キャロル・オーツの短編が入っているから買いました。彼女の「やあ!やってるかい」は、脳味噌筋肉のマッチョ男のジョガーを撃ち殺す最高にイカした作品です。でも特に印象深かったのは、エヴンソンの「父、まばたきもせず」です。娘の遺体を黙々と埋葬する父親の、一切の感情を排した描写に動揺しました。ダニエル・オロズコの「オリエンテーション」は、新入社員に対する事務的説明のみで構成されています。ケン・カルファスの「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」は、題名通り野球クイズと蘊蓄の繰り返しなのに、読み終えて言い知れぬ哀しみに沈められます。ルイス・アルベルト・ウレアの「チャメトラ」は、メキシコの戦場を舞台にした幻想小説ですが、グロテスクでありながら鮮血の美を湛える内容に圧倒されます。例えば、戦友の頭の銃創から血の代わりに、小さな汽車、実家の建物、家具、両親、彼が寝た女たち等、彼の記憶が次々と流れ出して来る描写などは、なぜか『進撃の巨人』を思い出しました。幽霊を見るより人間が怖いのが、カヴァンの「あざ」、ルイス・ロビンソンの「潜水夫」(ケッチャムの「食人族」シリーズと同じくメイン州が舞台)です。
  • 「FUNGI 菌類小説選集/第1コロニー」(オリン・グレイ&シルヴィア・モレーノ=ガルシア編、野村芳夫訳、Pヴァイン)
    東宝の映画『マタンゴ』がトラウマになった人が編集したキノコ短編集。世界中にいるのですね。収録作品は、キノコへの偏愛、もしくはキノコへの恐怖がテーマになっている以外は、ホラーからウエスタンまでジャンルも広範です。しかし、キノコを題材にしているという段階で既に、ファンタジーの領域に入らざるを得ないのです。ジョン・ケージはキノコたちのために音楽を作り続けたそうですが(キノコが喜んだかどうかは別として)、キノコを聴衆に選んだ段階で既に、人間の聴衆を拒絶しています。演奏者も、チケット買って聴きに来る客も、間違いなく人間だというのに…。いや、それは皆「キノコ人間/Mushroom People」だったのかも知れません。そうでなければ、誰が好んで、あんな音楽を…。もしかしたら、こんな小説を面白がって読んでいる私自身も、菌類に寄生されてしまっているのかも知れません(足は既に白癬菌にやられています)。収録作では、巻末の「野生のキノコ」(ジェーン・ヘルテンシュタイン)に最も心動かされました。チェルノブイリの婆ちゃんたちも同じですが、東欧やロシアの人たちは、どうして、こんなにもキノコ狩りに血道を上げるのでしょうか。斯く言う私も、小学生時代、松茸狩りにハマッていました。
  • 「失われた宗教を生きる人々/中東の秘教を求めて」(ジェラード・ラッセル著、臼井美子訳、亜紀書房)
    ユダヤ教グノーシス主義から派生したマンダ教、古代イラン系宗教のヤズィード教、ゾロアスター教、イスラーム分派のドゥルーズ派、「サマリア五書」を奉ずるサマリア人、エジプトのコプト教、パキスタンとアフガニスタン国境の山岳地帯に住むカラージャ族、以上、7つのマイノリティグループが採り上げられています。ドゥルーズ派は布教をせず、閉ざされたコミュニティの中で、文字通り秘教化しており、ヤズィード教徒も聖職者のみが「真理」を秘匿しているため、一般信徒には教義すら知らされていません。その2つは余りにも特異な例ですが、ゾロアスター教は一旦、ペルシア帝国の国教にまでなりました。ムスリム化以前のエジプトでは、コプト教が広く信仰されていました。しかし、いずれも現地では、コミュニティそのものが消滅の危機に瀕しています。絶滅危惧種は生物学だけでの話ではなく、人間の民族、言語、文化、宗教においても言えることです。そして多様性を失った世界は必ずや滅亡するのです。ムスリムがコプト教徒を迫害することで、彼らの多くが国外に脱出した結果、将来エジプトが被ることになるダメージの大きさは計り知れないのです。非常に明晰かつ丁寧な翻訳に感銘を受けますが、それだけに「失われた宗教」というデリカシーの欠如した題名が惜しまれます。せめて「失われゆく」「消えつつある宗教」にして欲しかった。
  • 「中国侠客列伝」(井波律子著、講談社学術文庫)
    子どもの頃、テレビで東映任侠映画(高倉健の『日本侠客伝』『昭和残侠伝』とか藤純子の『日本女侠伝』等)を観ていました。ですから、昔から「任侠」という生き方に興味がありました。随分、後になってからですが、キン・フーの『侠女』も観ました。中国が任侠の本場です。高倉健が中国で人気があったのも、チャン・イーモウが彼のために『単騎、千里を走る』を撮ったのも、彼が一貫して「侠の物語」を演じて来た役者だったからでしょう。因みに「美髯公 千里 単騎を走らせ」は『三国志演義』の一節です。「義理と人情の板挟み」に悩む話も時折りありますが、基本、中国の侠者たちは自らの自由意志で行動し、既成の権力や権威、この世の常識に反抗する者たちが圧倒的に多いのです。だから、著者も『水滸伝』の宋江が嫌いなのでしょう。宋江は梁山泊軍団のリーダーとして立ちながら、朝廷の招安(罪の赦免、官軍への編入)へ路線変更することで、結局、軍団壊滅をもたらすのです。でも実際、宋江のように生真面目な余りに、権力者に体よく利用されてしまうタイプの人間は珍しくありません。「愛国者は国家に裏切られる」のが世の習いです。
  • 「ドラゴン・ヴォランの部屋/レ・ファニュ傑作選」(ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ著、千葉康樹訳、創元推理文庫)
    『吸血鬼カーミラ』のレ・ファニュは、フランスから英国に亡命したユグノーの子孫。しかも、牧師の家庭にありながらも、生まれ育ったのがカトリック信仰と妖精伝説に包まれたアイルランドだったのです。そんな屈折した情愛が作品の端々から偲ばれます。「ロバート・アーダ卿の運命」「ティローン州にある名家の物語」「ウルトー・ド・レイシー」の3作品は、所謂「呪われた城主」ものです。それにしても「ロバート」の死神や「ウルトー」の亡霊よりも、(『レベッカ』の設定を思い出させる)「ティローン」の狂女が恐ろしいです。少女が妖精の世界へ連れ去られる「ローラ・シルヴァー・ベル」には、彼女を守ろうとする善い魔女の呪術も詳細に描かれていて、素朴な民話風ながら読み応えがあります。「妖精とは、洗礼をまだ受けていない者に力を揮(ふる)う」という説には、成る程と思いました。少女ローラの家庭は、成人に達してから洗礼を授ける宗派(多分、改革派)なのです。表題作は、フランスを舞台にしたゴチック犯罪小説です。読んでいる内に、カルメニャック警部の台詞が『名探偵ポアロ』の熊倉一雄の声で聞こえて来ました。
posted by 行人坂教会 at 17:08 | 牧師の書斎から