2017年06月25日

天使の挨拶

1.現代の保育園

近所に「アンジェリカ保育園」があります。有名なラブホ「目黒エンペラー」の並び「パークキューブ目黒タワー」という高層マンションの1階に入っています。当然、園庭などというものは存在しません。頭の古い私などは、それだけで「託児所」としか思えません。試しにHPを見てみると、「会社概要」「社名」「代表取締役」「株式会社」等の語が並んでいて益々、保育園とは思えなくなります。

「各園のご紹介」を見ると、東京23区内に手広く15施設を経営されているとの由。「大切にしていること」として「食育」「英語」「リズム」「絵本」を挙げて居られます。特に「食育」については、埼玉県の直営農園で栽培した安全な野菜を使用した給食であること、それを子どもたちが実体験するためのカリキュラムもあることが書いてありました。「リズム体操」は、園庭の無いことを補うためのプログラムでしょう。

「英語」は「ネイティブの先生が保育士として子どもたちに接する機会を設けています」とのことです。「ネイティブの先生」と言っても、どうやら「原住民の先生」や「先住民の先生」のことではないようです。私などは「色々な少数民族の先生が来たら面白いのに!」と思ってしまうのですが、残念ながら、単に英語の「ネイティヴ・スピーカー/母語話者」という意味のようです。そう言えば、時折り幼児を「お散歩カー」(映画『猿の惑星』で人間を捕らえて入れる檻の馬車みたいな)に入れて、彼らが英語の童謡を歌いながら移動している珍妙な風景を目にしたことがあります。

とにかく、旧態依然の私たちが抱く保育園のイメージで捉えると、今風の「保育園」には大きなギャップを感ぜざるを得ません。でも、きっと、これが現代の親御さんたちが求めている保育に違いないのです。

2.天使とエロス

私が「アンジェリカ保育園」のことを書きたいと思ったのは、郵便局に用を済ませた帰りに、丁度、お昼寝の時間だったのでしょう、保育士の女性がお二人、外で相談をされている場に出くわしたのです。側を通り過ぎる時に、私は見るとも無く、彼女らの揃いのTシャツを目にしたのでした。そこには「nursery Angelica」というカッコ良いロゴと共に、弓矢を弾く2人の「天使」の姿が描かれていました。

ん、違うぞ。「弓矢を弾く天使」って…。これ「天使」ではなくて、ローマ神話の「クピードー」でしょう。つまり、ギリシア神話の「エロース」でしょう。「アンジェリカ」の名前もイタリア語の「angelicato/天使のような」から派生した女の子の名前「Angèlica/アンジェリカ」から採ってお付けになったに違いありません。でも、エンブレムは「天使」ではなくて、「エロース」なのです。つまり、恋愛と性愛とを司る神なのです。エロースの「黄金の矢」で射抜かれた者は愛情に取り憑かれ、反対に「鉛の矢」で射抜かれた者は恋愛を嫌悪するのです。左右対象に描かれた2人のエロース(反対方向を向いている)は、当然、黄金の矢と鉛の矢を示していますから、恋愛依存症と恋愛恐怖症とを暗示しているのです。子どもの親御さんたちは、そんなことは思いも寄らないでしょう。実際、殆どの日本人は「天使」と「クピードー/エロース」の違いを意識していません。

お菓子メーカーの「森永」と言えば「エンゼル」が有名です。「森永」の創業者、森永太一郎は熱心なクリスチャンでありました。終生、伝道の意欲を失わなかった人です。米国で製菓修行を終えた森永が、帰国して最初の発売したマシュマロは「天使の糧」として売り出されました。勿論、「出エジプト記」の「天の糧/マナ」のイメージでしす。その発想は今も「森永マンナ」というビスケットの商品名として受け継がれています。しかし、エンブレムに描かれていたのは、聖書由来の「天使」ではなくて「クピードー」でした。しかるに、彼はその登録商標を「エンゼル/天使」と呼んだのです。以来、誰もがあれを「エンゼルマーク」と呼んでいるのです。

「天使」と「クピードー/エロース」との混淆を招いた一因は、確かに森永太一郎にあります。但し、これは彼独りの責任ではありません。当時の米国でも「天使」、即ち、聖書由来の「ケルビム/智天使」「セラフィム/熾天使」を描く場合には、幼児体型の「クピードー」を模していたのです。既に西欧社会でも混同されていたのです。

3.天使の挨拶を

ラテン語の慣用句には「天使」に纏わる面白い言葉があります。「angelica vestis/アンゲリカ・ウェスティス/天使の衣装」と言ったら「白い死に装束」をも意味します。「angelus tutelaris/アンゲルス・トゥーテーラーリス/後見の天使」と言ったら「守護天使」のことです。そして「angelica Salutatio/アンゲリカ・サルーターティオー/天使の挨拶」は、「ルカによる福音書」1章28節「おめでとう、恵まれた方」という「受胎告知」の第一声を意味します。所謂「アヴェ・マリア」です。

「サルーターティオー」には「挨拶、敬礼」以外に「訪問」という意味もあります。形容詞の「サルーターリス」には「健康に良い、有用な、無病息災の」と共に「救いの」という意味があります。それらを溯ると「サルース/健康、幸い、無事、安全/救済」という語に辿り着きます。「挨拶」が「健康」や「救済」に繋がって行くのです。これは、とても大切なことのように思うのです。自分から挨拶をするのは、何より、自身の健康のため、自身の救いのためであることを忘れてはなりません。

そして、あなた自身もまた、誰かにとっての「天使」かも知れないのです。神さまから遣わされた「御使い」となる可能性を、お互いに誰もが秘めているのです。

牧師 朝日研一朗

【2017年7月の月報より】

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