聖句「…生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるように…」(1:20)
私をハンセン病療養所に追いやった3つの言葉
1.「わたしゃ、クリスチャンには随分いじめられたよ!」
1980年夏、好善社のハンセン病療養所ワークキャンプに初めて私が参加した時に、あるおばあさんから私に投げつけられた言葉。奈良で開拓伝道に燃える私に、「クリスチャンがいじめた」とは!頭が真っ白になった。戦後間も無くのキリスト教ブームの頃、米国のララ物資の配給をめぐって、クリスチャンが優先されたことによるトラブルが背景にあったようだ。衝撃から覚めた私は、「ああ、こういう言葉を聞くために、神は私をここに追いやったのだ」と妙に納得。キリスト教会とて内と外を分け隔てする。私はその罪びとの頭!ハンセン病者を外へと追いやった日本政府の加担者だと。
2.「消え去ることをもってその使命とする教会があることを、君は忘れるな!」
1985年、開拓伝道10年にして漸く会堂建設、献堂式の祝辞で、好善社の藤原理事長(故人)が言い放った。「君の教会はこれからも伸びてゆくだろう。でも消え去ってゆく教会がある。君はそれでいいのか」と。私は彼の命を受けて、毎月末に大島青松園キリスト教霊交会の講壇奉仕に14年間通うことになる。「消え去ることをもってその使命とする」の表現は誤解を生みかねない。ただ、それが現実。大島キリスト教霊交会は会員の減少により昨年その礼拝を閉じ、各療養所教会も同じ運命。
3.「ここも神の国です」
1990年2月、藤原理事長に同伴して、タイ国ハンセン病療養所を訪れた。東北部の
貧しい農村ながら、孫の世話をして家族と共に暮らす元患者の姿に心が和む。旅の最終日、バンコク郊外のプラパデン・コロニーを訪れた。そこはチャオプラヤ河の岸辺、海抜ゼロメートル地帯に作られたスラム、満潮時には水があふれて下水が床下を覆う劣悪な環境にある教会。同行の若い女性が、もうお会いできないかもしれませんが、天国での再会を楽しみに、と挨拶したら、教会代表の方が、「ここも神の国です」と切り返した。彼女は泣きだし、私も衝撃を受けた。ハンセンを病み、人々に忌み嫌われ、人生に行き暮れ、漸く辿り着いたスラムの教会、「ここも神の国」とは!教会とは何と誇らしい所なのか!以来、タイに長く関わることになる。教会はキリストの体、決して消え去ることなく、キリストを証し続ける。
三吉信彦牧師