2017年09月04日

人を見る目、神を見る目【ヘブライ11:23〜31】

聖句「信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。」(11:27)

1.《面接官の躊躇》 日経新聞電子版に、面接官もビックリの最近の就活生という座談会がありました。当世学生気質に対する愚痴や文句が殆どでしたが、その中に「個性的過ぎて不採用にしてしまったけれども、大物を釣り落としたのではないか」と発言した面接官がいました。その躊躇いの中に、成功も失敗も積み重ねて経験した人にだけ生まれる謙虚さを感じました。

2.《目を向ける先》 誰も「人を見る目」等は持ち合わせてはいないのです。プロのスカウトの成功話も夥しい苦い失敗の上にあります。事業で成功続きのように見える人も、人生では失敗しているかも知れません。家庭が崩壊したり、人格が破綻している場合が多いのです。私たちには、自分が明日どう成るかも分からないのです。況して「人を見る目」等ありません。「箴言」は「目先の利益を追求した結果、欠乏する」「悪い目」(28:22)、「貧しい弱い人を助けて、神に祝福される」「善い目」(22:9)と説き、イエスさまも「体の灯は目」と仰います。何に目を向けているのか、それが問われているのです。

3.《神を見続ける》 モーセは王宮で育てられますが、同胞が虐待される現実を見てしまったことで大きく人生を変えられます。但し、現実を見るだけでは、そこに怨みと憎しみしか生まれません。モーセはエジプト人を殺しただけでした。社会の現実を見る時、私たちもまた、絶望と無力感に囚われます。だからこそ、私たちは神に目を向けなければなりません。「耐え忍ぶ」は「不撓不屈」。「弛まず見詰め続ける」ことです。忍耐とは持続力です。毎日の暮らし、栄養、扶養、そこから耐久力が生まれるのです。見ることの出来ない御方を、今現に見ているようにして耐え忍ぶ、それこそが神を礼拝する心です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から