2017年10月29日

異端審問と魔女狩り

「宗教改革五百年記念」と称して、様々なイベントが行なわれているようですが、違和感を禁じ得ないのは、専ら「宗教改革の成功」だけを記念して、お祝いしているように思われる点です。ルター以前にも、宗教改革の運動は何度も起こっていました。但し、その都度、ローマ教会の強権により圧殺されていたのです。所謂「実現しなかった宗教改革」が幾つもあったのです。

ボヘミアのヤン・フスは、聖書の自国語への翻訳においても、免償符批判においても、ルターの先駆けとなる人物です。1415年に火刑に処せられています。ルターの宗教改革を溯ること、百年も前の出来事です。プラハの礼拝堂で「真理が勝つ」と説教をするフスの勇姿は、アルフォンス・ミュシャ(ムハ)の巨大な絵画「スラヴ叙事詩」にも描かれています。

そのフスに影響を与えたのが、英国のジョン・ウィクリフです。ウィクリフは聖書の英訳を行ない、堕落したローマ教会を批判し、聖餐の化体説も否定しました。その結果、フスが火刑に処せられたのと同じ年に、ウィクリフもまた異端者として断罪され、ローマ教皇庁は彼の墓を暴き、著書を焼くことを命じました。

その他、メディチ家と対決して絞首刑に処せられた、ジロラーモ・サヴォナローラ、異端審問にかけられ、終身禁固刑にされたヴェーゼルのヨハン、オランダのヨハン・ヴェッセル等、「宗教改革前の宗教改革者」がいたことを忘れてはなりません。これらの改革者たちは「異端/Haeresis」の宣告を受け、迫害されたのです。

更に溯れば、11〜13世紀、南仏トゥルーズに起こった「アルビ派」、リヨンから南欧に拡がった「ワルドー派」、東欧の「ボゴミール派」のことも思い出されます。彼らは十把一絡げに「カタリ派」と呼ばれていました。この人たちは、度重なる「十字軍」によって殲滅虐殺されたのです。その二元論的な教えから、世界史の教科書でも「異端」と烙印を押されています。しかし、プロテスタントの代名詞とも言える「ピューリタン/清教徒」という語も、そもそも反対者たちが「カタリ派」という意味で用いた蔑称でありました。「カタリ」はギリシア語の「カタロス/聖潔な、純粋な」から来ているのです。

ローマ教会によって異端審問制度が大規模に整備強化されたのは、13世紀前半「カタリ派」の撲滅が目的でした。それが15世紀には宗教改革者たちを弾圧し、一般庶民の間でも「魔女狩り」として猛威を振るうこととなります。密告が市民の義務とされ、拷問や処刑が日常茶飯事となります。ローマ教会だけではなく、宗教改革者の陣営内でも、異端審問や魔女狩りが行なわれていたのですから、皮肉としか言いようがありません。例えば、カルヴァン支配下のジュネーヴでは、神学者のミシェル・セルヴェが火焙りにされました。

「宗教改革五百年」を記念するのは結構ですが、プロテスタントの先駆けとなった信仰共同体や改革者たち、宗教改革の余波とも言える「魔女狩り」で殺されていった無辜の民、そこにも、私たちと繋がる何かが確かにあることを覚えたいのです。


【会報「行人坂」No.255 2017年10月発行より】

posted by 行人坂教会 at 06:10 | ┣会報巻頭言など