2017年10月29日

キリスト教こんにゃく問答]]T「儀式と時代」

1.冠婚葬祭

皆さんは「儀式」と聞いて、どんな儀式を思い浮かべるでしょうか。幼稚園・保育園には「入園式」「卒園式」があり、学校には「入学式」「卒業式」があります。会社にも「入社式」がありますが、余り「退社式」というのは聞きませんね。なぜか自治体が主催している「成人式」も忘れてはいけません。恐らく、これらの儀式は全て「冠婚葬祭」の「冠」に当たると思います。その昔、男子は「元服」の儀式に際して、文字通り衣服を改めたそうです。更に冠や烏帽子など頭に被り物をして、名前を変えたそうです。この古来の習慣から、成長の区切りを「冠」と呼び習わして来たのです。

それに続くのは「婚葬」、即ち「結婚式」と「葬式」です。

仏教には「法事」(四十九日法要、一周忌、三回忌など)という故人のための儀式(追善供養)があります。これが「祭」に当たります。先祖の祭典のことです。「祭」という語からも分かるように、本来、祭事は古神道(民間信仰)の概念でした。インド仏教では、死者は直ちに転生しますし、日本仏教では、忽ち地獄か極楽に行きますから、遺族が「供養」してやる余地など全くありません。

しかし、神道では、死者の霊(死霊)を精霊(しょうろう)、更には、カミ(祖霊、氏神)へと昇化するように、一族の者たちが三〇〜五〇年の歳月を供養して「祀り上げて」いくのです。これが「祭事」なのです。それを「ホトケ」「法事」と言い換えたのは、葬祭業に新規参入した仏教寺院の方便だったのです。

現代の日本社会にあっても、「冠婚葬祭」の内「結婚式」と「葬式」だけは、依然として大切な儀式としてイメージされているように思います。それに伴って「結婚業界」「葬式業界」の経済活動も付随して来る訳です。今でも大きな産業です。しかし「冠」と繋がっている産業は、子ども服やリクルートファッションの衣料業界、写真屋くらいしか思い当たりません。「祭」はお寺以外には、仕出し屋と墓石屋くらいでしょう。

2.形式主義

「キリスト教の儀式」と言うと、多くの人が思い浮かべるのが結婚式です。但し、近年、本物の教会で挙式する人は、殆どありません。「キリスト教式の結婚式」を選んだとしても、挙式はホテルやセレモニーホールの「チャペルウエディング」です。しかも、それを仕切っているのは、概ね「キリスト教ブライダル宣教団/Christian Bridal Mission」なる団体で、司式者、奏楽者、聖歌隊の派遣を業務としています。

近年「アマゾン」の「お坊さん便」が話題になっていますが、結婚式用の「司式者」派遣は40年くらい前から行なわれているのです。「宣教団」の「募集要項」を見ると、司式者の「応募資格」は「牧師の資格を有する方」、「仕事内容」は「日本人牧師、外国人牧師」と書いてあります。「日本人牧師」という「仕事内容」(!?)があるのですね。その下には「出演料」(!?)という項目がありました。『嗚呼!!花の応援団』ではありませんが、思わず「役者やのオー」と漏らしてしまいます。

元来、私たちの社会には、どこかしら「儀式」というものを「形だけのもの」として軽んじる風潮があるのではないでしょうか。『男はつらいよ/口笛を吹く寅次郎』では、酔っ払った住職の代理で法事に行った寅さんの、バイの口上で鍛えた口から出任せの法話に、檀家一同感心しきりというエピソードがあります。これ等は仏事の形式主義に対する皮肉も盛り込んであるように思います。

そう言えば、葬式にしろ結婚式にしろ「神式」「仏式」「キリスト教式」等と、誰もが平気で言っています。「○○式」は「○○のやり方、方式」という意味です。つまり「内実はともかく、取り敢えず形だけは…」という意味です。何を信じるにせよ、本当の信者ならば「神道の」「仏教の」「キリスト教の」と言うべきなのです。

「物々しく体裁だけを取り繕った」ことを「儀式張った」と言いますが、「儀式」を形骸化してしまう原因の一端は、何事も「右へ倣え」で従う画一主義、その場の空気を読んで迎合する順応主義にあるような気がします。少数派のクリスチャンたる私たちは、常日頃から、冠婚葬祭や日本の宗教的行事に接する度に、周囲からの同調圧力に苦しみ、「自分の姿勢態度はこれで良いのだろうか?」と悩んでいます。つまり、私たちこそ、形式主義と内容の空洞化については、最も敏感に感じ取っていると思うのです。

3.現場要請

ラテン語の「儀式」という語には、二種類あります。「リートゥス/ritus」と「カェリモーニア/caerimonia」です。英語の「リチュアル/ritual」「セレモニアル/ceremonial」です。同じ「儀式」であっても、厳密には「リチュアル」は「言葉」を、「セレモニアル」は「所作、動作」を指すと言われています。カトリック教会の「典礼定式書」は「リートゥアーレ/rituale」、「カェリモーニアーレ/caerimoniale」と言ったら「行儀作法の書」という意味です。そして、当然のことながら、あらゆる「儀式」は「言葉」と「所作」とから成り立っているのです。

私たちが最も大切にしている儀式は「礼拝」です。プロテスタント教会の「礼拝」の中には「洗礼式」と「聖餐式」という特別な儀式「聖礼典/サクラメント」が含まれます。「日本基督教団式文」には、誕(幼児洗礼式、幼児祝福式)、冠(堅信礼)、婚(婚約式、結婚式)、病(病者聖餐式)、葬(納棺式、前夜式、出棺式、葬式、火葬前式、埋葬式)、祭(記念式)等、私たちのライフサイクルに関わる儀式が並んでいます。その他、教会形成に関わる儀式(入会式、教会設立式、会堂定礎式、献堂式、牧師、役員任職式)があります。

しかし長年、牧師をしていますと、「式文」には掲載されていないような儀式を依頼されることも多々あるのです。具体的に挙げてみましょう。

「新車のお祓い」と言うと、驚かれるでしょうが、要するに、新しく自動車を購入した牧師から依頼されて「伝道のために活用されますように」「事故に遭いませんように」「ドライバーと同乗者の安全が守られますように」等の祈祷をさせて貰ったことがあります。

信徒さんの自宅新築、持ちビル新築の「定礎式」(神道の「地鎮祭」に当たる)、「上棟式」「献宅式」の依頼は珍しくありません。教会墓地の「献墓式」もありました。「定礎式」や「献墓式」の時には、木製の十字架に聖書の御言葉と祈りを書いて埋めています。

私の友人は「ペットの葬儀」を依頼されて、何度も行なっています。飼い主にとっては家族同然の存在であっても、それ以外の人にとっては、単なる犬猫に過ぎませんから、礼拝堂で挙式することが許されませんでした。しかし、最近は「ペット用の斎場、霊園」の普及により、非常にやり易くなったそうです。

「結婚式を挙げぬまま入籍して、幾星霜の父母のために、結婚式のようなものを」という子どもさんからの依頼を受けて「夫婦の契約の更新式」をしたこともあります。住宅の「悪魔祓い」もしたことがあります。聖水(死海の塩を使用)による潔めの儀式です。ローマ教会のラテン語の式文を翻訳して使用しています。

当教会に赴任して間もない頃、古い原簿を調べていたら、「死後洗礼」と記された人があるのを発見し、大変に驚いたことがあります。しかも、その話を南支区の牧師会で披露したら、居並ぶ牧師たちが怪訝な表情をする中で、ご高齢のM牧師(改革長老主義のY教会)が懐かしそうに「結構、昔は多かったのです」と返されたのには、更にビックリでした。

このように牧会の現場では、実に様々なニーズがあり、いつの時代も、牧師は古い式文を自分なりに変更したり修正したり、古今の式文を援用したりして対応しているのです。何しろ、教団の結婚式の式文なんか、未だに「妻たる者よ、主に仕えるように夫に仕えなさい。…夫は妻のかしらである」ですからね。


【会報「行人坂」No.255 2017年10月発行より】

posted by 行人坂教会 at 06:05 | ┗こんにゃく問答