2017年11月29日

旭日亭菜単(続き)その42

  • 「大貧帳」(内田百闥、中公文庫)
    教授室の隣の喫煙室で、百鬼園先生が、文科系と思しき甲君、物理の乙君、化学の丙君ら教師仲間を相手に、火だの水だのと論争するも、数学の丁君から一言「水は物質で、火は現象です」とトドメを刺されます。そこから、百鬼園先生、自論を展開して曰く「金は物質ではなく、現象である」、遂には「Time is money」と言うが如く「金は時の現在の如きもの」「この世には存在しない」と喝破する辺り、感動的です(「百鬼園新装」)。これは、単なる思弁ではなく、とことん金にだらしなくて、年中金欠なのに贅沢が身に付いてしまっていて、それでいて身なりや見栄には何の頓着も無く、その癖、金貸し、借金取りの類いに無縁の暮らしが出来ない、複雑怪奇な百鬼園先生が、その人生の中から獲得した真理に他なりません。盲腸の手術をした田氏を見舞った序でに、「退院祝いに、新しいのを買いなさい」と説いて、病人の帽子(しかも、ボルサリーノ)を貰って帰る話は凄い。まるで「説教強盗」です。京都から岡山に帰る汽車賃が足りず悶々とする少年時代の「二銭紀」も、初めて独り旅をするドキドキ感に溢れています。要するに、百鬼園先生の借金癖は、アルコール等と同じく、一種の依存症だったのではないでしょうか。どうして、こうまで借金をしてしまうのか、周りの誰もが理解不能だったはずです。でも、借金の利子が膨らんで生活を圧迫して行くドキドキ感に、彼は初体験を重ねていたのではあるまいかと思うのです。
  • 「死の舞踏/恐怖についての10章」(スティーヴン・キング著、安野玲訳、ちくま文庫)
    先ず膨大なページ数に圧倒されますが、読み始めてみると、底抜け脱線の例話や雑談が続き、絞れば半分くらいに収まったのではないかと思いました。映画、ラジオ、テレビ、コミック、そして小説と、ホラーというジャンルによって、様々な表現領域を横断して行きますが、その知識量の豊かさ、分析の深さは帝王キングならではです。これに触発されて、誰かホラー音楽やホラー演劇(グラン・ギニョールかしら)について書けば良いのに…。さて、キング自身は作家ですから、彼の本領が遺憾無く発揮されるのは、第9章です。ピーター・ストラウブの『ゴースト・ストーリー』、シャーリィ・ジャクソンの『丘の屋敷』、アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』、ジャック・フィニィの『盗まれた街』、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』、リチャード・マシスンの『縮みゆく男』、ハーラン・エリスンの『クロウトウン』等がホラー分析の教材にされています。私が中学時代に一気読みした、ジェームズ・ハーバートの『鼠』も高く評価されていて、自分事のように嬉しくなりました。「ジョナサン・エドワーズの説教」だの、「メソジストの信条」だの、「分析せんがために聖書を読むべからず」だの、「カルヴィニスト的道徳観の名残のようなものがある」だの、言葉の端々から、キングが信仰深いメソの家庭に育った片鱗が伺えます。信仰は彼のホラーにとって必要不可欠な要素なのです。町田智浩の「解説」によると、スタンリー・キューブリックがキングに直接電話をかけて「君は神を信じているのか?」と問うと、即座に「イエス」と答えたとの由。
  • 「プリニウス」第6巻(ヤマザキマリ+とり・みき作、新潮社)
    動物や鳥と交流する例の少年が、ティルス出身のフェニキア人という設定に成りました。ネロ帝がご執心の女奴隷プラウティナは、ブリタニア人のキリスト教徒。ネロの愛人、ポッパエアに取り入っている高級宝石商のレヴィテはユダヤ人。第一次ユダヤ戦争を平定することになる、司令官ヴェスパシアヌスも登場します。段々と新約聖書の世界に近付いて参ります。と言うか、ローマ大火とキリスト教徒迫害だから、シェンキェヴィッチの『クォ・ヴァディス』でしょうかね。そして、哲人セネカも登場します。新約外典に「パウロとセネカの往復書簡」というのがありました。作画も綺麗だし、ストーリー展開も上手だし、毎回、安心して読めて文句の付けようがありません。
  • 「宇宙船ビーグル号の冒険」(A・E・ヴァン・ヴォークト著、沼沢洽治訳、創元SF文庫)
    子ども時代に読んだ1冊です。懐かしくて再読しました。テレビの『宇宙大作戦』の何度目かの再放送を楽しみにしていた当時の私にとって、宇宙の猛獣ケアル、幻影鳥人リーム人、超生物イクストル、巨大無形生命体アナビスと、4大モンスターが登場する物語に興奮したものです。ケアルが生命体のイドを食べ、古代都市の遺跡が発端になるので、初めて『禁断の惑星』を観た時には「ビーグル号だ!」と叫んだくらいです。今読み直すと、イクストルがクルーの腹部に卵を産み付けるのも、船外に放出するのも『エイリアン』そのものです。著者が映画会社を訴えて、5万ドルを手にしたのも頷けます。ビーグル号が前代未聞の危機に直面する度に、主人公のエリオット・グローヴナーが手探りで解決法を導き出して行き、それが船内での彼の地位向上に繋がるという展開です。子どもの時には全く意識しませんでしたが、アメリカの企業を舞台にした出世物語と同じですね。因みに、考古学者の苅田は、パット・モリタの顔、しかも久米明の声で、私の脳内テレビが勝手にキャスティングして放映してしまうのでした。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第12巻(カガノミハチ作、集英社)
    スキピオ・アフリカヌスの活躍が続きます。バグラデス川の戦いで、西ヌミディアとカルタゴの連合軍を殲滅するところがクライマックス。その後、ハンニバルがイタリア半島から呼び戻されて、ザマの戦いに至る訳ですが、スキピオとカルタゴとの間で進められていた和平工作が出て来ません。カルタゴの元老院も一枚岩ではなくて、カンナエ前後のローマ上層部と同じ状況にあったはずです。ハンニバルがアフリカに上陸して、カルタゴ側の事情は全て省略されています。結果、好戦派がカルタゴの主導権を握るのですが、その一連の展開が、スキピオとハンニバルとの頂上会談というドラマに集約されています。勿論、これは完全なフィクション。伝説によると、二人が直接対話したのは、ハンニバルがカルタゴを追われ、セレウコス朝シリアのアンティオコス3世の下で軍事顧問を務めていた時、場所はエフェソスとされています。因みに、アンティオコス3世は、ローマには小アジアの領土を奪われたものの、プトレマイオス朝エジプトからユダヤを奪い取り、ヘレニズム化を進めた王で、旧約聖書続編「マカバイ記」にも登場します。
  • 「もののあはれ/ケン・リュウ短篇傑作集2」(ケン・リュウ著、古沢嘉通編訳、ハヤカワ文庫)
    表題作は、小惑星の衝突前に地球を脱出した宇宙船の、唯一の日本人クルーの物語。著者は「もののあはれ」という美意識を少し深読みし過ぎているような気もします。しかし、最後の日本人の死と共に、固有の言語や文化、観念も消え去って行くというモチーフは、今や現実的に感じられるようになりました。「円弧」と「波」は姉妹編。いずれもヒロインが科学技術によってアンチエイジングを成し遂げる話で、女性読者は羨望をもって貪り読むこと請け合い。但し、両者の結末は似て非なるもの。「信仰への道を納得して進むために、必要なのは1ビットのエラーだ」というテーゼが出て来る「1ビットのエラー」は、シリウスから届く光の中に、愛する者の死の瞬間、キリストが十字架に掛けられた瞬間、今とは異なる時間を受け取ることで、永遠と繋がる幸せを説いています。巻末「良い狩りを」は、妖怪退治師(道教の退魔師)の息子と妖狐の娘との慕情がテーマ。しかるに、物語の舞台は清朝末期からパラレルワールドの香港に移ります(当然、スチームパンクだし…)。このコンビが活躍するエンタテインメントも出来たでしょうに、著者の関心はそちらに向かいません。でも、もしかしたらハリウッドが目を付けて、原作とは似ても似付かぬB級映画に仕上げるかも知れません。
posted by 行人坂教会 at 13:55 | 牧師の書斎から