2018年01月26日

旭日亭菜単(続き)その43

  • 「毒々生物の奇妙な進化」(クリスティー・ウィルコックス著、垂水雄二訳、文藝春秋)
    たった一撃で他の生物を害し、時には、その生命まで奪ってしまう有毒生物たち、その力に対する恐怖に、私たち人間は畏怖や信仰、憧憬や羨望さえ感じるのです。私自身も、小学生の頃、蠱毒を作ろうとして、蛇や蟇、毛虫や蛭、蜘蛛や百足、虻や蜂など、毒のありそうな生き物を捕らえては、同じ瓶の中で食い合いをさせていました。勿論、当時の私は「蠱毒」という語も知りませんでしたが、それでも混ぜ合わせれば、最強のポイズンカクテルが出来るものと無邪気に思い込んでいたのです。そう言えば、我が家には、祖先伝来の「百足の油」という医薬品が存在していました。家人は百足を見つけるや割り箸で摘まんで、ある油瓶の中に生きたまま投入するのが決まりでした。擦り傷や切り傷を作ると、その臭い油を傷口に塗られたものです。親戚の叔父さん(京都第二日赤の院長を長年務めた脳外科医)が、「わしも、これの治療効果を医学的に調べてみたいと思ったこともあったわ」と笑っていました。実際、現代医学では、有毒生物が進化させた神経毒や血液毒から、新しい薬物や治療法が開発されているのです。本書では採り上げられていませんが、有毒植物もある訳ですから、この分野には更に未だ可能性があります。「人を殺せずして活かすこと能はず」です。
  • 「私たちの星で」(梨木香歩×師岡カリーマ・エルサムニー著、岩波書店)
    異文化、多人種との共生(共存)をテーマにした往復書簡集。梨木は、EU離脱で混乱する英国で、アラブ人のタクシー運転手から受けたホスピタリティに感動し、「ムスリムの人は優しい」と称えますが、彼は「全部のムスリムがそうだというわけではないよ、ほら、五本の指は皆違う、と言いながら片手を上げ、そして裏表もある、と、手のひらをひらひらさせます」。その度量の大きさ、成熟度に感じ入ります。一方のカリーマは、英国映画『あなたを抱きしめる日まで』に登場する老修道女が、かつて彼女がヒロインに対して行なった残酷な仕打ちを自己弁護する台詞から、「修道女なら自我を捨てて万人を愛せ」と一方的に要求するのは残酷ではないかと問い掛けます。「その人の信仰故にあるべき姿を基準にその人の行いを裁くのは、必ずしもフェアではないということ」。私たちは、この社会や他人が貼り付けて来るレッテルからも、自分が自分や他人に貼り付けるレッテルからも自由でありたい。日本社会では、政治と宗教に話が及ぶや、ガラガラと相手の心のシャッターが閉まって行くのが見えます。欧米のサロンで、政治と宗教の話をしないのは、それを契機に論争が始まってしまうからです。日本では、深い考えも主義主張も無いままに、タブー化して蓋をしてしまいます。相手にレッテルを貼り付けて、交流そのものを拒絶してしまう場合が多いのです。まるで「鎖国外交」のようです。
  • 「真夜中の檻」(平井呈一著、創元推理文庫)
    「吸血鬼ドラキュラ」はじめ怪奇小説の翻訳家として高名な著者による、小説2作に、アンソロジー等のために書き下ろした解説文などを1冊に集めています。とにかく表題作には圧倒されます。終戦の年、新潟県の僻地にある庄屋の屋敷に、古文書を調べに行った青年が消息を絶ちます。徒歩で村への道を歩く場面、広大な屋敷の中の描写など、著者が新潟で教員をしていた時代の見聞が反映されています。細部のリアリティが確かでなければ、ホラーは成立しないという見本のような作品です。打って変わって「エイプリルフール」は、銀座や本郷、松濤が舞台になるモダニズムの世界。大映で市川崑が若尾文子主演で撮っていてもおかしくないでしょう。しかし、これは「生霊もの」の一種です。兄嫁に寄せる大学生の弟の慕情が伏線に成っていて中々のものです。
  • 「ゴールデンカムイ」第12巻(野田サトル作、集英社)
    正直、獣姦趣味の姉畑支遁(「シートン動物記」からの命名)の挿話は酷かった。それでも、壮絶な死に様には敬意を表します。一行が釧路に到着するや、アオウミガメやマンボウ、ラッコを次々に食べるグルメマンガに戻ります。ラッコの肉を食べると発情するとは知りませんでした。それにしても、蝗害とラッコと男色の盛り合わせ、作者の迷走ぶりは目に余ります。これでは「ヤオイ系」でしょう。更に盲目の盗賊ガンマン、都丹庵士(トニアンジ)って、マカロニウエスタン『盲目ガンマン』のトニー・アンソニーでしょう。アクション画は絶品なのですが、やたらと男たちの裸体を並べています。
  • 「怪奇礼讃」(E・F・ベンスン他著、中野善夫・吉村満美子編訳、創元推理文庫)
    W・H・ホジソンの「失われた子供たちの谷」が素晴らしい。事故で幼い子を亡くした親の深い悲しみがテーマになったことで、単なる幽霊譚に終わらない、忘れ難い味わいがあります。「詩編」23編の「死の陰の谷」と「子供たちの谷」とが隣り合わせになっているなんて思いも寄りませんでした。M・アームストロングの「メアリー・アンセル」は陰鬱な物語でありながら、幕切れの爽やかさにハッとさせられます。オチのある所が怪談の怪談たる所以です。A・ノースコートの「オリヴァー・カーマイクル氏」は、女の生霊に取り憑かれて苦闘する男の話ですが、これまた幕切れに不思議な感動が用意されています。M・コルモンダリーの「死は共に在り」は、建築家の青年が古い地下聖堂に封印されていた悪霊を解き放ってしまう話。怪奇小説の定石通りに怖いです。J・D・ベリスフォードの「のど斬り農場」は黒いユーモアに近いけれども、これが米国に行くと、ロバート・ブロックの「サイコ」に化けるのかも知れません。M・ラスキの「塔」は高所恐怖症の人にお薦め。E・F・ベンスンの「跫音」は小泉八雲の「むじな」そのものです。
posted by 行人坂教会 at 11:18 | 牧師の書斎から