2018年01月29日

風に揺らぐ葦か【マタイ11:2〜9】

聖句「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。」(11:7,8)

1.《葦にも花が》 明治大正期の文豪、徳冨蘆花は「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然もその見所なきを、余は却って愛するなり」と、筆名の由来を語っています。葦の花と言っても花ではなく穂先が暗い紫色に染まるのです。それを昔の人は「葦の花、蘆花」と呼んだのです。「見所とてもなき」と言われながらも、それでも「葦にも花がある」ことを覚えたいと思います。

2.《何を見るか》 洗礼者ヨハネはベドウェンの装束で、荒れ野に呼ばわりました。その姿は預言者エリヤの再来でした。「しなやかな服を着た人なら王宮にいる」と、主は仰いますが、皮肉なことにヨハネが斬首された時には、彼はマケルス要塞(ヘロデの離宮)の地下牢に幽閉されていたのです。かつてヨハネはヨルダン川で人々に洗礼を授けました。ヨルダン川には「風にそよぐ葦」が生い茂っていたはずです。日本の「暖竹」に当たりますが、ユダヤでは、この葦の茎から弓矢や笛が作られました。主が十字架に掛けられた時に、繰り返し現われる「葦の棒」です。私たちは毎日、何を見て過ごしているでしょうか。

3.《風穴が開く》 石川達三の長編小説に『風にそよぐ葦』があります。太平洋戦争開戦直後の言論弾圧「横浜事件」の中で苦闘する出版人の群像が描かれています。フォンテーヌの「樫と葦」の寓話も忘れてはなりません。洗礼者ヨハネは「樫の木」に、イエスさまの弟子たちは「風にそよぐ葦」にも思われます。茎は折れながらも、その信仰が現在の私たちに繋がっているからです。信仰者も牧師も揺らいでも良いのです。揺るがされまいと権威を楯に取るよりも、大風に揺らぎ、風穴が開けられて、そこから新しい風(アネモネ)が吹き込んで来る方が良いのです。主は最も弱い所に御力を顕わされます。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から