2018年02月25日

大水は声を上げました

1.アフターマス

所謂「東日本大震災」から7年目を迎えます。けれども、私は未だに「東日本大震災」という曖昧な名称を受け入れることが出来ません。成る程、茨城県や千葉県や栃木県、東京都や神奈川県でも犠牲者が出ています。特に千葉県の旭市は津波の被害が大きかった。とは言え、やはり、岩手県と宮城県と福島県の被害のレベルは格段に違います。

私にとっては「3.11大震災」「東北大地震と津波」という名称が一番シックリ来ます。「東日本大震災」という名称ですと、公共交通機関の途絶によって、首都圏を中心に10万人もの「帰宅困難者」が出たことが、どうしても一番に思い出されてしまうのです。「東日本大震災」の名称は、首都圏を中心にした捉え方のような気がしてなりません。でも、首都圏の被害は飽く迄も「余波」であって、「大地震」や「大津波」の直撃ではなかったことを、私たちは自らに言い聞かせる必要があると思います。

因みに、英語の名称は「Aftermath of 2011 Tōhoku Earthquake and Tsunami/2011年の東北地震と津波の被害」と成っています。「アフターマス」とは、災害や事件、事故などによって引き起こされた状況を表わす語であり、「余波、結果、痛手、後遺症」と訳されます。「マス/math」とは、一説によると古英語の「mæþ/メス/刈り取り」から来ていて、草刈りを終えた後の、何もかも無くなって、すっかり様変わりしてしまった風景を言うのだそうです。確かに、災害が襲った後、風景は一変します(被害者の心の風景も)。

それ故「アフターマス」という語を、私自身は取り敢えず「被害」と訳しています。それに加えて「アフターマス」という語には「震災そのものも大変だけど、その後がもっとズッと大変なのだ」「復興などと言っても、痛手は簡単には消えないのだ」という含みがあるようで、カタストロフの真実を上手に言い当てていると思うのです。

2.遠くか近くか

「東日本大震災」は、中国語では「2011年日本東北地方太平洋近海地震」と表記されます。「津波」は「海嘯/ハイシャオ」と言います。英語の名称にしろ中国語の名称にしろ「東北」「東北地方太平洋近海」というように、特定された震源地が明確に示されているのが良いと思うのです。それらを見るに付け、どうして日本では「東日本大震災」等という曖昧な名称にしてしまったのかという疑問が湧いて来ます。

実は、同じような疑問を感じたことが過去にもあったのです。1994年12月28日に三陸沖で発生した「三陸はるか沖地震」(マグニチュード7.6)でした。地震で大勢の死傷者を出し、建物の被害も相当数あったのですが、幸いにも津波の規模は小さくて、殆ど被害はありませんでした。それはともかく「はるか沖地震」という命名に、私は大きな違和感を抱いたのです。「「はるか彼方の沖」だから、三陸海岸は大丈夫」とでも言いたかったのでしょうか。とても不可解な名称でした。

その前年、1993年7月12日の「北海道南西沖地震」、別名「奥尻島地震」の場合にも感じたのですが、なぜか「沖」という語を使いたがるのです。「遠く」という印象操作でしょうか。この時には、津波で奥尻島が壊滅的な被害を受けたのでした。因みに、この「北海道南西沖地震」、中国語では「北海道南西近海地震」と言います。「沖」と言うか「近海」と言うかで、随分と印象が変わります。ここでも、国内よりも国外の名称の方が、より的確であるという不思議が生じているのです。

さて、その昔は日本も中国と同じように、津波も高潮も纏めて「海嘯(かいしょう)」と呼んでいたようです。1902年9月に相模湾西岸地帯を襲ったのが「小田原大海嘯」です。地震によるのではなく、台風の影響による海面上昇であったため、現在では「高潮」に分類されていますが、津波と同じくらい、大勢の死傷者、多数の家屋被害を出しています。

3.大水の轟く声

「大海嘯」と聞けば、私などは、宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』(1982〜1994年)、及び、そのアニメ映画化作品(1984年)を思い出さずには居られません。「火の7日間」と呼ばれる最終戦争によって人類の文明が滅んでから、千年後の地球が舞台です。陸地の大部分は「腐海」と呼ばれる有毒な森に覆われています(放射能汚染の隠喩)。

『ナウシカ』には「王蟲/オーム」と呼ばれる巨大な蟲が登場しますが、これが大群と成って押し寄せ暴走する現象を「大海嘯」と言うのです。これ自体が破滅的大災害の隠喩なのですが、それだけでは終わりません。この大暴走の結果、多数の「王蟲」の屍骸から有毒な粘菌が飛散して「腐海の森」が生まれるという悪循環が待っているのです。因みに、この「大海嘯」、ドイツ語版では「grossen Flut/大洪水」と訳されていました。

旧約聖書では「創世記」6〜9章に描かれる「大洪水/マッブール」が有名です。「ノアの箱舟」の物語です。「洪水が起こった」時の様子を「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」と表現しています。

古代人の宇宙観では、天には「天の海」があったのです(因みに、地下の世界にも、陰府の海が広がっています)。だから、空は海のように青いのです。それが破れてしまったのですから、これは創造の秩序の崩壊です。しかも「深淵/テホーム」は「天地創造」の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」(創世記1章1節)の「深淵」です。つまり「天地創造」以前の状態、分離される以前の状態に逆戻りしてしまうのです。それ故に「混沌」、即ち「形なく、空しく/トーフー・ヴァボーフー」に成ってしまうのです。

果たして私たちは、神さまが創造して下さった秩序(自然環境)を大切にしているでしょうか。震災から7年が過ぎ、私たち皆の中に、その心が強められることを切に祈ります。

牧師 朝日研一朗

【2018年3月の月報より】

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