2018年03月05日

希望は生まれて来るもの【ローマ5:1〜11】

聖句「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(5:3-5)

1.《希望の種》 若者が愛と平和と喜びを求めて巡礼の旅に出ますが、行く先々で彼が目にしたのは、悲しみと憎しみに満ちた世界でした。やがて何でも望むものがあるという店に辿り着き、彼は願いを語ります。しかし、彼が手にしたのは買い物リストだけでした。店の主人は「この店では果実は売っていないのです。ここでお売りできるのは種だけなのです」と言います。

2.《巡礼の旅》 寓話を紹介しているマーガレット・シルフは英国の作家で、エキュメニカルの黙想会を主宰する人です。店主は「人生のガイド」を思わせます。自分の中にある思いを、心を込めて柔らかく結んで行くことで言葉にすることで「希望の種」が生まれます。聖地「巡礼」は「贖罪」「功徳を積む」「願掛け」を目的としていたために、「信仰義認」の立場から、プロテスタント教会では廃棄されました。しかしながら「巡礼」の語源(ペレグリーノル)はラテン語の「故郷を離れて、旅回りの」で「よそ者」を意味します。「我が故郷は天にあり」を身上とする私たちにとって「巡礼」は自らの人生の隠喩なのです。

3.《種蒔く人》 パウロの時代の信徒にとっても、人生は「巡礼」のように「苦難」の連続でした。「苦難」は「圧迫」の意味です。極端な迫害でなくても、同調圧力の強い日本社会の中で、私たちも感じるものです。「忍耐」は「持ち堪える」です。一般に「練達」は「試練を経て本物と証明される」と解されますが、私は「信仰の受容」と考えます。オンボロな私たちの信仰ですが、その恥ずかしいような自分も教会も周りの人たちも丸ごと受け入れるのです。その時「苦難、忍耐、練達」の混じった土の中から「希望」が芽吹くのです。いずれ神にお奉げする実りです。私たちは人と人の間に種を蒔いて参りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から