2018年03月31日

旭日亭菜単(続き)その44

  • 「映画とキリスト」(岡田温司著、みすず書房)
    脱帽です。これだけ体系的に纏まった「キリスト教と映画」の本が書かれたのは本邦初ではありますまいか。著者は映画全般についても、キリスト教の教義、神学、美術と図像学についても幅広い知識と深い知識があり、分析は的確です。自身は「信者ではないが」と繰り返し述べつつも、異教であるキリスト教信仰と文化に対して、並々ならぬ愛着を抱いて居られることが感じられます。もしや家族や友人に信者がおありでしょうか。巻末に「権力の真の栄光は無為」、教会の真の務めは「ヘトイマシア/準備」であるという、ジョルジョ・アガンベンのテーゼを持って来たのには、未来に期待されるべき教会の在り方が提示されているように思われました。現在、私自身が牧会する教会にとっても「ほっこりする時間」「最後の居場所」「気球のように浮いている」が、今後の目標となることでしょう。ハリウッド式「キリスト物」やメジャーな娯楽作品から、作家主義のマイナー作品まで、よくぞ網羅なさっていますが、欲を言うなら、次は、是非アジア映画(日本も含めて)への視点を加えて頂きたいと思います。
  • 「ラテンアメリカ怪談集」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス他著、鼓直編、河出文庫)
    ムヒカ=ライネスの「吸血鬼」は、英国のホラー映画会社が撮影のために城を借り、城主の男爵に吸血鬼役を依頼したら、本物だったという話。『ノスフェラトゥ』の吸血鬼役が本物だったという、そんな映画がありましたね。火山の噴火でもないのに、街中に燃えるタールが降り始める、ルゴネスの「火の雨」は、勿論「ソドムとゴモラ」です。一見、意味不明のアルファベットの羅列でありながら、読み始めるや否や、その瞬間に文章が生成され、ふっと目を離すと分解されて、また初めから読み直さねばならない。そんな「さまよえるユダヤ人」の手記が出て来るのが、アンデルソン=インベルの「魔法の書」。本を読む人間にとっては地獄そのものです。ラテン作家によるシノワズムが面白いレサマ=リマの「断頭遊戯」。モンテローソの「ミスター・テイラー」は、首狩族の干し首を販売したら大ヒット商品となって「製造」が追い付かないという黒い笑いに満ちています。そして『奥の細道』のスペイン語訳で高名なオクタビオ・パスの登場。「波と暮らして」の奇想。しかし、まさしく夫婦生活そのものです。幕切れを飾るのは、リベイロの「ジャカランダ」、1960年代の前衛映画を観ているような、眩惑される感覚を味わえます。
  • 「昼も夜も彷徨え/マイモニデス物語」(中村小夜著、中公文庫)
    12世紀の高名なラビ、マイモニデスを描いた小説ということで、取り敢えず買ってみました。表紙の絵もマンガ風ですし、難解な表現もなく、用語説明も単純且つ的確で、その余りに軽快な語り口に、ラノベかと思った程でした。いや、実際、中高生くらいでも十分に楽しめると思います。しかし、内容やテーマは驚く程に深遠で骨太です。信仰、信念をもって生きるとは如何なることか。異教徒、異文化の者たちと如何に向き合い、共生するか。弾圧や迫害の中で如何にして己の内面の自由を守るべきか。なさしく「目から鱗」の展開でした。これは、私たちのような社会的少数者(キリスト者)にとっての課題であるのみならず、同調圧力が強く、常に周りの空気を読むことや忖度が要求される日本社会の中で、息苦しい思いを強いられている全ての人が直面している問題です。平易な言葉で綴られていますが、イスラーム世界や地中海世界を旅して得たという、著者の体験知は確かで信頼が持てます。「あとがき」に触れられた、現代パレスチナ問題に対する認識も鋭く、再臨論の立場からメシアニック・ジュダイズム等を支援している、原理主義のクリスチャンにも少し耳を傾けて頂きたいものです。エジプトの書記官、カーディ・ファーディルがちゃきちゃきの下町言葉を喋る設定は、先日のカリーマ師岡の指摘を思い出しました。
  • 「内部の真実」(日影丈吉著、創元推理文庫)
    推理小説なのに名探偵不在のまま物語が展開します。最後に真犯人は突き止められるものの、事件は解決されぬまま終結を迎えます。太平洋戦争末期の台湾、敗色が濃厚となる時期です。予め事件それ自体が忘れ去られて行く運命にあったのです。このもどかしさは、済し崩し的な開戦から必然としての敗戦に向かうプロセスそのものです。トリックを楽しむ物語ではありません。事件が真っ暗闇の庭で勃発したのと同じく、読者も暗がりの中に置き去りにされてしまったような感触です。それに加えて、シンガポール陥落時の描写に戦慄します。「そこには四、五人のうら若い華僑の娘が、腰を抜かして、のたうちまわり、暗い地面に何かを吐いていた。一ヵ月余も持ちこたえた兵隊の欲望に、狩り出された彼女たちは、服装や顔だちから見て、深窓の娘たちらしかった」。全く本筋とは関係ない場面ですが、主人公、小高が恋慕する葦田恒子(本島人鉄工業者の娘)の容疑を晴らすべく奔走する動機の1つとなっています。そんな訳で、邪道とは思いつつも、私はこの推理小説を、日影の戦争論として読んでいたのでした。
  • 「アンチクリストの誕生」(レオ・ペッツ著、垂野創一郎訳、ちくま文庫)
    18世紀のパレルモを舞台にした表題作は文句なしに面白いです。「オチがガッカリ」という意見もあるようですが、これは飽く迄もプロットや展開の凄さを楽しむべき作品です。オチが『オーメン』のような思わせ振りなものなら、却って平凡な怪奇小説に堕してしまうでしょう。オカルト物や伝奇物などというジャンルに収まり切らない所が、この作家の魅力です。その意味で「霰弾亭」も、ジャンル小説の枠から外れていて、曰く言い難い異様な後味を抱えたまま突き放されることになります。主人公フワステク曹長の性格が余りに常軌を逸していて、私たちの心の分類に収まり切らないのです。酒場での縄張り争いで、工兵たち十数人を一瞬にしてボコボコにする豪傑かと思いきや、青年時代の想い人と再会したばかりに自死を選ぶ程の繊細さ、傷付き易さ、それでいて分裂を感じさせない人物として造形されているのです。チェカー(ソ連の秘密警察)のジェルジンスキーが登場する「主よ、われを憐れみたまえ」、天才数学者ガロアをモデルにした「夜のない日」、降霊術をテーマにした「ボタンを押すだけで」。いずれも、初めて口にするエスニック料理を味わった時のような気分です。
posted by 行人坂教会 at 14:22 | 牧師の書斎から