2018年07月11日

旭日亭菜単(続き)その46

  • 「ボルヘス怪奇譚集」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサーレス編、柳瀬尚紀訳、河出文庫)
    このような本が寝床に無ければ、私の安眠はありません。例えば、死刑囚の最期を淡々と描いたO・ヘンリーの「夢」は、一切の叙情を排していながら幻想的で(アンブローズ・ビアスみたい)、これが、あの「最後の一葉」や「賢者の贈り物」の作家の手に成るものなのかと仰天します。しかも、作者の死によって、小説は死刑直前で中絶するのです。もしや、これはO・ヘンリーの名を騙ったボルヘスの創作では無いかと妄想してしまう程です。他にも、ポオやカフカと未完の小説断片を次々と見せられるにつけ、この脈絡の無さと不完全さこそが夢や幻の何よりの証左では無いのか…と煩悶すること必定。この不条理感こそは、枕頭に置くに相応しい本です。ロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』を読んだ時に受けた印象と大変によく似ています。中国やインド、アラビアの物語に混じって、タルムードやミシュナ、ブーバーの例話などユダヤのネタも多く、勉強になりました。但し「夢幻」だけに、朝起きた時に何も覚えていないのが悔やまれます。
  • 「ゴールデンカムイ」第14巻(野田サトル作、集英社)
    土方歳三と犬童四郎助との血闘、杉元と二階堂との死闘、網走監獄の凶悪犯7百人と第七師団との乱戦が並行して描かれて、怒涛のアクションが展開されています。それにしても、土方は御老体であれだけの刀傷を受けて出血してりゃあ、普通、死んでいるだろう。杉元も狙撃手に前頭部を撃ち抜かれて、それでも復活する不死身ぶりは呆れます。しかし、アクション画に説得力があれば、どんなに滅茶苦茶でも納得してしまうのがマンガのマンガたる所以です。登場人物たちのチームが再びシャッフルされて、新たな3チームが編成され、舞台は樺太へと移ります。どこまで「北帰行」は続くのでしょうか。杉元が「アシリパさんを取り戻す」「オレを樺太へ連れて行け」と唸る場面では、病室の窓の外から伺うチカパシとリュウ(アイヌ犬)が描かれていたり、鯉登少将の駆逐艦の甲板に立つ杉元の左足に、麻痺患者のリハビリ用「短下肢装具」が描き込まれていたり、実に芸が細かいのです。
  • 「お静かに、父が昼寝しております/ユダヤの民話」(母袋夏生編訳、岩波少年文庫)
    イラクの「ベドウィンの羊」、ブルガリアの「死神の使い」は、グリム童話、延いては古典落語の「死神」の元ネタでしょう。クルディスタン・イラクの「ヒツジとヤギとライオン」では、グリム童話「狼と七匹の子山羊」と同じく、親山羊がライオンの腹を裂いて、2匹の子山羊を救出します。「塔に閉じ込められたソロモン王の姫君」も「ラプンツェル」です。イラクの「父への愛は塩の味」は、シェイクスピアの『リア王』と同じく、三人姉妹の末の姫君の直言が父王の誤解を招きます。モロッコの「泣いて笑って」「犬ですらうなり声をたてない」、スペインの「真珠の首飾り」、ハンガリーの「皇帝とラビ」、アフガニスタンの「笛と羊飼いの杖」等、いずれもユダヤ人故に受ける差別と迫害を、信仰に裏付けられた知恵と絶妙のユーモアとでもって切り抜けて行く物語です。ラバン・ガマリエル(使徒パウロの師匠でもあった)がローマ人と宗教論争を展開して、やさしい言葉で唯一神信仰の正しさを証明する「思考の剣」には舌を巻きました。
  • 「ヨーロッパ史における戦争」(マイケル・ハワード著、奥村房夫・奥村大作共訳、中公文庫)
    この5百年間、世界中の戦争をリードして来たのは、ヨーロッパの軍事技術と兵器、経済と政治と思想であったという事実は否定できません。更に5百年を溯って、中世の封建騎士の時代から、ヨーロッパの戦争が如何に発展(?)拡大して来たかを検証しているのが、この本です。世界全体から見れば、ヨーロッパは小国が分立する局地でしかなく、そこで行なわれる戦争も、ごく限定的なものであったはずです。イスラーム帝国やモンゴル帝国のような世界的な拡がりは持ち得なかったのです。そんなヨーロッパの戦争がグローバル・スタンダードに変化したのは、15〜17世紀の「大航海時代」以降ですが、そこには、戦争の継続のために海外からの富の蓄積が必要に成ったからという、倒錯した動機があったことに気付かされます。要するに、欧州内の小国の内輪もめの影響を、全世界が被ることになったのです。更に、フランス革命とナポレオン戦争とによって「民族(国民)の戦争」へと意識変革が起こり、20世紀の総力戦へと大きく舵を切ることになるのです。第二次大戦の終結と植民地からの撤退によって、逸早くヨーロッパは戦争の歴史から離脱した訳ですが、私たちは、あと5百年はその後遺症を引き摺ることになるでしょう。
  • 「世界イディッシュ短篇選」(西成彦編訳、岩波文庫)
    『牛乳屋テヴィエ』以来のイディッシュ文学です。いずれの作品も、ユダヤ教信仰や民族性に裏打ちされてはいますが、皮肉や懐疑、不安や揺らぎを抱えています。20世紀文学の特徴でしょう。『テヴィエ』のS・アレイヘムの「つがい」は、過越祭に殺されることを運命づけられた鵞鳥の話。I・ベレツの「みっつの贈り物」では、地上の殉教者たちの遺物を、天上の聖人たちが嬉々としてコレクションしています。D・ベルゲルソンの「逃亡者」は、『罪と罰』のラスコリニコフを思わせる青年がポグロム(ロシアのユダヤ人迫害)の首謀者を殺害しようと狙います。N・ミジエリツキの「マルドナードの岸辺」も、ガルシア=マルケス風ユダヤ人迫害年代記ですが、背教者、裏切り者の内面を描きます。I・B・ジンゲルの「シーダとクジーバ」には「隷属を強いられるよりはディアスポラを生きる方がましだ」という、マイモニデスを思わせる警句が出て来ます。D・ニステルの「塀のそばで」は、ユダヤの学僧がサーカスに入団する奇想天外な悪夢のような展開(さながらデイヴィッド・リンチ)。特に、突然現われた乳吞み子に父親が乳首を吸われる描写はお手上げでした。
  • 「ふらんす伝説大観」(田辺貞之助著、青蛙房)
    ユイスマンスの『彼方』の翻訳で知られる碩学による伝説民話の集積。熊の怪獣トゥルス・ポワール(逆毛)、旅人の背中に跳び乗るガリポート、ヌエのような怪物ダール(投槍)、人狼ガルー、鬼女グレグ、妖精ファルファデ等が登場します。ケルト色の強いブルターニュまで行かずとも、これだけ数多くの妖怪変化譚がフランス各地にあるのです。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ベルモンドが映画で演じた「大盗賊カルトゥシュ」、フロベールの短編で有名な聖ジュリアン、マラーを暗殺したシャルロット・コルデ、ジル・ド・レ男爵、オペラの台本作家ボーマルシェ、フン族のアッチラ、宰相リシリュー…。さながら伝奇譚の百花繚乱です。私が気に入った与太話は、ルイ14世によってバスチーユに監禁されて「鉄仮面」を付けられていた男は、ルイ13世の実子であり、彼は看守の娘と懇ろになり、生まれた息子がコルシカ島の家に預けられて、ナポレオンの父になったというもの。「あるお偉方から/ド・ボヌ・パール」がイタリア語で「ブオナ・パルテ」、再びフランス語化して「ボナパルト」に成ったというのです。
posted by 行人坂教会 at 21:53 | 牧師の書斎から