2018年10月01日

裸の大将の失楽園【創世記3:8〜19】

聖句「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」(3:10)

1.《いちじくの葉》 米国のドラマ『デスパレートな妻たち』のタイトルは、クラナッハの「アダムとエバ」から始まり、女優陣が真っ赤な毒リンゴを手にして登場します。「禁断の果実」がリンゴになったのはラテン語の語呂合わせからです。他方、アダムとエバが腰に巻いたイチジクは実名です。英語で「いちじくの葉」と言えば「都合の悪いこと、恥ずかしいことを覆い隠す」の意味です。

2.《顔向けできぬ》 しかし原典は「彼ら自身のために帯を作った」とあるだけで「隠した、覆った」の含みはありません。性的な深読みを始めたのは、後代の人たちの妄想に過ぎません。「腰に帯する」のは自我、自意識の表われです。彼らが逃げ隠れするのは、神さまが園の中をやって来る「足音」(もしくは歌声、話し声)を聞いた瞬間です。約束を破って「顔向けできない」気分だったのです。「今更どの面下げて会いに行けるかよ」と言うのは社会的な立場のない人です。アダムとエバは「どこにいるのか?」という神の呼びかけに、素直に出て来るのです。それでは、なぜ「恐ろしくなり、隠れた」のでしょうか。

3.《裸であること》 エデンの園の中では裸が当たり前でした。岩波版「創世記」では「彼ら二人は裸であった。彼らは互いに恥じることはなかった」と訳されています。「裸であったが…」ではなく「裸であるが故に」と読むことも出来ます。衣服は階級や貧富の差を示します。園を追放された人間たちは、もはや愛と信頼で結ばれた「隣人」ではいられなくなります。支配/被支配の関係(16節)が生まれたのです。御前にあって、私たちは上下、主従、優劣の関係を前提に生きるべきではないとのメッセージが込められているのです。神に対しても人に対しても「裸の生き方」を示されたのが、十字架のイエスさまです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の講壇から