2018年10月13日

旭日亭菜単(続き)その48

  • 「真赤な子犬」(日影丈吉著、徳間文庫)
    冒頭から赤川次郎みたいな文体で、コケットなヒロイン登場と思いきや、すぐに予想は裏切られます。彼女は探偵役ではありません。先ず、探偵の務めを担わされるのは読者なのです。若社長の自殺未遂とそれに続く転落死の一部始終を示されているのは読者だけで、捜査に当たる警察よりも先に、その経緯を読んで知っている…と思い込まされるのです。ところが、この設定そのものがトリッキーであったことが、後から知られて来る訳です。それにしても、「サラド・ワルドルフ」に「ビフテック・オー・ポワヴル・ノワール」、食べてみたいものです(勿論、毒入りでないヤツを)。ジャクリーヌ・ササール主演の映画『芽ばえ』が引用されていることから時代は明らかですが(日本公開は1958年)、こんな時代に、田園調布に4階建てのお屋敷を構え、専任のコック、執事、メイドたちがいて、2階が会議室と食堂、3階が客室、遊技室、図書室、独身の若社長が書斎付きの4階で暮らしているなんて、夢のようです。『ちびまる子ちゃん』の花輪くんの家です。しかるに、後半に登場する工場の守衛の老人の自宅、これが私らには相応しいのです。
  • 「人みな眠りて」(カート・ヴォネガット著、大森望訳、河出文庫)
    初期作品のお蔵だしのような短編集ですからSFネタは少ないのです。冷蔵庫型の女性ロボットを連れて、セールス巡業する天才科学者が主人公の「ジェニー」、罹患者に自殺衝動を引き起こす感染症を描く「エピゾアティック」が辛うじてSFの味付けです。「ミスターZ」は、犯罪学の講座を履修する神学生(牧師の卵)と服役中の娼婦とのラブロマンスです。伝説で「聖なる娼婦」にされてしまったマグダラのマリア以来、よくあるパターンのカップルですが、思わずホロリとさせる予想外のオチを用意するのがヴォネガット流です。「金がものを言う」も、欲しくも無い巨万の遺産を相続した娘と借金に悩む男とのラブロマンス。両作に共通するのは、男が柔弱な態度では真心は伝わらないという教訓です。「ガール・プール」や「ルース」は女性同士の、「賢臓(kiddley)のない男」(「腎臓/kiddney」ではない)や「ペテン師たち」は男性同士の確執と共感を描いていて、後々じわぁ〜と胸に染みます。表題作は、ディケンズの「クリスマス・キャロル」と同じく、クリスマス嫌いで性悪な男が、本物のクリスマスを現出させます。
  • 「ゴールデンカムイ」第15巻(野田サトル作、集英社)
    「ヤングジャンプ」は週刊だけにコミックス新刊が出るのも速い。アシリパの行方を追って樺太に渡航した杉元たちの活躍が描かれます。クズリにスチェンカ、バーニャ、トド狩りと当地の自然や風俗がしっかり描かれていて、本作の美点が出揃っています。第149話「いご草」では、以前は背景人物の一人に過ぎなかった月島軍曹の過去、鶴見中尉との因縁も描かれます。恐らく、最初からキャラ設定があったのではなくて、舞台を樺太に移動させる段階で、月島にロシア語通訳の技能を振り、その結果「いご草」の物語が生まれたのでしょう。要するに、後からキャラ内容を膨らませたはずです。登場キャラが増えると、その分サブストーリーが派生して、作品そのものが重厚さを帯びる結果となるのです。第120話「奇襲の音」〜第121話「暗中」の屈斜路湖温泉の時と同じく、男性陣の集団入浴の場面が多く、往年の雑誌「SABU」のグラビアみたいです。これは、作者の性的指向なのか、読者へのファンサービスなのでしょうか。
  • 「牧野富太郎/なぜ花は匂うのか」(牧野富太郎著、平凡社)
    小学校の図書室には、牧野の植物図鑑が何冊か並んでいました。今思えば(子ども向けではない)結構な専門書だったと思います。しかし、私たち男子は動物図鑑や昆虫図鑑に夢中で、好んで頁を開いてみたいとは思いませんでした。それでも時折り、目当ての図鑑が他の子たちの手に渡ってしまっている時に、暇潰しに止む無く植物図鑑を開いてみて、その鮮やかな写生に目を奪われたことがあります。植物の美しさが余す所無く表現されていました。牧野自身が「私は植物の愛人として、この世に生まれてきたように感じます」と告白している通り、それは彼の激しい植物愛、愛情の為せる業だったのです。「人間は植物を神様だと尊崇し礼拝し、それに感謝の真心を捧ぐべきである」。植物教の信徒、いや使徒なのです。私たちが食べているバナナは「実」ではなく「皮」であること、イチゴも「茎の末端」、蜜柑もまた「毛」であること、これは子どもに教えてやらねば。私の生まれ故郷の町花は野路菊ですが、命名は牧野だったのですね。
  • 「完全犯罪/加田伶太郎全集」(福永武彦著、創元推理文庫)
    『草の花』『死の島』等で高名な「純文学」作家、福永が加田のペンネーム(しかも、アナグラム)で発表した正統派探偵小説の連作集です。古典文学の研究者、伊丹英典(これまた「名探偵」のアナグラム)が毎回舞い込んで来る謎の事件を解いていきます。これらの連作が書かれたのは「大学助教授」という肩書きが未だ確かな地位と、時間的余裕を保証してくれていた1950〜60年代初め。「ディレッタント」が気取れないと、探偵遊戯(趣味としての推理と事件解決)等は成立しませんからね。昨今の大学教員は勿論、最近では大学生ですらリアリティがありません。「解説」の法月綸太郎が「「温室殺人」の封建的な犯人像は、横溝作品を念頭に置いていたかも知れない」と指摘していますが、強い意志と高い知性を併せ持ったキャラクターにハッとさせられた私としては、目に見えぬ因果や因縁に操られる(が故の悲哀もある)横溝の犯人像とは異なると思います。むしろ「ディクスン・カーや横溝正史調のおどろおどろしい演出」が垣間見えるのは、大学院生が伊豆半島で消息を断つ「失踪事件」、催眠術や古い西洋屋敷に「落人池」等という舞台装置の「眠りの誘惑」でしょう。とにかく挑戦と実験精神に溢れる粒揃いの短編集。巻末に収録されている、福永が都築道夫、結城昌治と囲む鼎談も凄い内容です。
posted by 行人坂教会 at 16:54 | 牧師の書斎から