2018年11月26日

どんな果実にも種がある【マルコ4:26〜29】

聖句「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(4:26,27)

1.《食物リレー》 私たちの食べている物は自然からの恵みです。それを収穫するために働いている農業者、漁業者、生産者があり、それを運ぶ人、売る人、料理する人の手を経て、初めて私たちの口に入るのです。後片付けをする人もいます。丁度、人から人へとバトンや襷を繋ぐリレーのようです。自然界に食物連鎖があるように、人間の社会にもリレーがあるのです。

2.《バナナの皮》 バナナを皮ごと食べる人はいません。しかし、中の白い部分も「実」ではありません。「外果皮」に対して「内果皮」と言います。私たちはバナナの皮を食べているのです。イチゴの赤い部分も「実」ではありません。茎の先端に果肉が付いているのです。ミカンも中身に至っては毛なのです。房から細胞の毛が生えて来て、袋の中で成長し、甘い汁が溜まったのです。その名残が白い筋のような繊維質「アルベド」です。食用に品種改良され退化していますが、これらの果物の中にも、かつては種があったのです。

3.《見えない種》 マジシャンが「種も仕掛けもありません」と口上を述べますが、本当は仕掛け(トリック)があるのです。但し、それは種のように小さくて観客が気づくことが出来ないのです。イエスさまの譬え話の農夫も自分で種を蒔いて置きながら、どうして成長して行くのか分からないのです。奈良県の社会福祉施設「たんぽぽの家」で入所者が思い思いのアートを作っています。「エイブル・アート/可能性の芸術」と言うのだそうです。障碍者は「出来ない人」ではなく、何事か「出来る人」なのであり、彼らの創造にこそ、むしろ社会の在り方や仕組みを変えて行く「種」が隠されているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:54 | 毎週の講壇から