2019年01月07日

旭日亭菜単(続き)その49

  • 「黒いアリバイ」(ウィリアム・アイリッシュ著、稲葉明雄訳、創元推理文庫)
    この小説には、7人の魅力的な女性が登場します。流れて来た南米で一躍スター女優に成ったキキ、夜更けに母親から雑貨屋にお遣いに行かされる少女テレサ、霊園で恋人と逢引きしようとして果たせない令嬢コンチータ、酒場でコンパニオン紛いで稼いでいる「夜の姫君」クロクロ、米国の農機具販売会社の秘書で、久しぶりの休暇で羽根を伸ばしているサリイ、そして親友の仇を討つために捜査に協力するマージョリイ。どの女性も生き生きと描かれていて、その都度、読者は彼女たちに寄り添いながら読み進む(夜の道を歩き進む)ことになります。アイリッシュが老母と二人暮らしで、終生、女性と無縁だったとはビックリです。いや、生々しい女性関係が無かったからこそ、私たち(男性読者)の共感できるヒロインたちを産み出すことが出来たのかも知れません。
  • 「北欧神話物語」(キーヴン・クロスリイ=ホランド著、山室静・米原まり子訳、青土社)
    アニメ『進撃の巨人』が大好きな二男に「霧の巨人ユミル」による天地創造の場面を読んで聞かせたら興奮していました。オーディンら「アース神族」が「岩の巨人」に、アースガルドの城壁を建築させる物語も『進撃』を思い出させます。勿論、マーベルの『マイティ・ソー』でお馴染み、雷神トールや変身の神ロキも登場します。彼ら「アース神族」と相容れぬ関係にあるのが巨人族、小人族ですが、単なる敵対関係と言い切れる程に単純ではありません。巨人と知恵を競い合ったり、騙まし討ちにしたり、小人に宝飾品を作らせた挙句に奪い取ったりと、「アース神族」も思い付きや一時の欲望のままに行動し、自らの激情や憤怒を制御できません。無敵なはずのトールがウトガルドの巨人王から散々に侮辱される物語(ウトガルドへのトールの遠征)、ロキが小人のアンドヴァリから、黄金の山と指輪(「ニーベルングの指輪」の原点!)を奪い取り、呪いと共に巨人族に渡す物語(オッタルの賠償金)等、とても興味深い。それにしても、千年以上も昔に、どうしてロキのような屈折したキャラクターが生まれたのか不思議で成りません。
  • 「みんな彗星を見ていた/私的キリシタン探訪記」(星野博美著、文春文庫)
    国際都市香港で過ごした学生時代、自分の先祖のルーツを遡る紀行本など、著者の過去と生活の中にある「生の実感」みたいなものが、執筆の大きな動機に成っています。だから、彼女にとって「キリシタン」の時代に思いを向けることは、先ずリュートの演奏を学ぶことだったりします。島原半島を訪ねて、疲れ果ててしまう辺りの描写などは、こっちまで一緒に腹が減ったり体が冷え切ってしまいそうに成ったりします。周囲「巻き込み」型の執筆スタイルであることが想像されます。若松英輔が「解説」で「作者がキリスト者ではない」ことを評価して居られましたが、そのような評価の仕方自体がナンセンスだと思います。原城で「憑霊」したのと同じように、少なくとも本紀行文中においては、彼女の魂はカトリックに帰依すること著しく、その分、プロテスタントに対するアレルギー症状まで表われているのです。例えば、原城に大砲を打ち込んだオランダ船の出所、フランドルのリュート曲は演奏したくないとか、プロテスタント系の母校(国際基督教大学ですか)では、基本的なキリスト教の知識も教えてくれなかったとか…。秀吉、家康以上に敵対視している感じが読み取れるのです(笑)。それを差し引いても、気付きの発光に満ち溢れた本であることは認めなくてはなりません。当時の宣教師たちにとって、日本は数少ない「殉教」することの出来る地であったこと、宣教師たちの記録は「列福、列聖」の手続き上多く残されているものの、鎖国時代の日本人殉教者たちの記録は存在しない、それでも彼らの歴史は存在していること。胸打たれる考察です。
  • 「西部劇を極める事典」(芦原伸著、山と渓谷社/天夢人)
    前作『西部劇を読む事典』は、文字通り「事典」の体裁を採っていましたが、こちらは、クリント・イーストウッド、ジョン・フォード、カウボーイ御三家(ランドルフ・スコット、ジョエル・マクリー、オーディ・マーフィ)の作家論、役者論が大半を占めています。それでも6章の「ワイルド・ウェスト雑学事典」や「西部開拓史」年表などは、ありそうでいて、意外に無かったもので(少なくとも日本語では)、西部劇愛好家たる著者の面目躍如です。往年の名作『シェーン』が、チミノの『天国の門』と同じ「ジョンソン郡戦争」に関係する作品であること、「アメリカが新しい農業国として立ち上がる決意を表明した映画だった」こと等、目から鱗です。やはりと言うべきか、最も読み応えがあるのは、3章の「ジョン・フォードから学んだこと」です。どんなジャンルの、どんな作家に対する論評であれ、愛情と敬意に溢れた文章に接するのは気持ち良いものです。
  • 「時をとめた少女」(ロバート・F・ヤング著、小尾芙佐他訳、ハヤカワ文庫)
    幾分、揶揄を込めて「叙情SF」等と言われるヤングですが、思いの他、辛辣だったりします。ヤングには、確かに女性崇拝、少女趣味の性質があるのです。表題作などは、まさに直球ド真ん中「ボーイ・ミーツ・ガール」です。しかしながら「花崗岩の女神」等は、女性の形をした異星の山脈に挑む登山家の話で、旧約聖書の「雅歌」が繰り返し引用されるように、遣る瀬無い思いは募り、その挙句に女神崇拝、女性に裏切られた思い等が交じり合って、ここまで来ると、まさに「極北」です。「自分の女神に思いもよらなかった汚点があると知った者は、いったいどうするのだろう? 自分の真の恋人が淫婦だとわかった時、いったいどうするのだろう?」。巻末の「赤い小さな学校」も恐ろしい物語です。幸せな幼年時代の思い出を辿りながら、養父母の下を脱走して、「故郷」への旅を続けて来た少年が出会ったのは何だったでしょうか。憧れの女教師の本当の姿は…。
posted by 行人坂教会 at 17:42 | 牧師の書斎から