2019年01月07日

神さまの宝物【申命記7:6〜8】

聖句「あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。…ただ、あなたに対する主の愛のゆえに…」(7:6,8)

1.《七福神と宝船》 新年の寺も「七福神」詣でに参る人で賑わいます。しかし本来は、除夜に際して、船の絵を床に敷いて眠り、翌朝、川に流して穢れを祓う儀式でした。「宝船」に乗った「七福神」は、私たちの願う「幸福」が「宝」(個人的な富の集約、経済的成功)であるという告白です。誰でも自らの幸福を追求する権利がありますが、もう少し社会全体の幸せを願うべきです。

2.《主なる神の宝》 他の翻訳聖書が「選ばれた民」と訳している中、日本語訳聖書は、伝統的に「宝の民」という直訳的表現を大切にして来ました。何を「宝」とするか、聖書の「価値観」の表明として重視しているのです。神さまが「所有」なさったことによる「付加価値」なのです。パウロの「コリントの信徒への手紙T」1章の召命観(選びの不思議)にも通じますが、「申命記」には「主の愛の故に」と強調されています。「宝」とは「愛」のことなのです。イエスさまも「あなたの宝のある所に、あなたの心もある」と仰っています。

3.《宝を守る闘い》 ドイツの中西部にビーレフェルトという町があり、その中心に、障碍の有無に関わりなく、何の隔てもなく、人々が共生する「ベーテル」という共同体があります。19世紀後半に、ボーデルシュヴィンクという牧師が呼び掛けて始まり、百年以上を掛けて街創りをしています。ナチスの障碍者抹殺部隊が来た時にも、街の人たちが「ここにいる人たちは、私たちの宝です。神の宝です」と、身を挺して守り切ったのです。神と格闘して障碍者に成ったヤコブは「イスラエル/神と闘う」の名前を授かりました。「宝」を守るために、真の宝が何であるか証しするために、神は闘い給うのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から