2019年03月04日

心のドアは内開き【黙示録3:14〜22】

聖句「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と食事をし…。」(3:20)

1.《レオレオニ》 絵本作家レオ・レオニの作品(『スイミー』『フレデリック』『じぶんだけのいろ』)は、どれも聖書の福音を思わせる逆説、逆転の発想に満ちています。『せかいいちおおきなうち』では、自分の殻(家)の小さいことに悩むカタツムリの子に父親が、殻(家)を大きくしたために動けなくなり、飢え死にしたカタツムリの話を聞かせます。家は小さい方が自由なのです。

2.《かたつむり》 人もカタツムリのように自分の「心の家」を持っています。形も大きさも十人十色です。どの家にも窓がありますが、大きく開け放っている人もいれば、小さな隙間から覗いている人もいます。無理やり他人の家の窓を開けるのも、自分の家に強引に引き込もうとするのもアウトです。一般社会から見ると「宗教」「キリスト教」は、そんな厚かましい存在と見られています。私たちは、十分に相手の心を尊重して、本当の友(本当の支えや助け、励ましや慰め)と成るために、熟慮して行動しなくてはいけません。

3.《内開きの扉》 イエスさまは扉を叩いて呼び掛けているのに、家人は誰も気付いてくれません。復活のイエスさまは鍵の掛かった家の中にも自由に入り込むことが出来ます(ヨハネによる福音書20章19節)が、無理に入ったりは為さらないのです。なぜなら、人の心の扉は内開きだからです。無理に開けたら心が壊れたり歪んだりするのです。中の人が気付いて、自分から開けるまで辛抱強く待って居られます。主のノックに気付かないのは未信者ではなく、クリスチャンなのです。心を入れ替えて自分を低くしなければなりません。イエスさまを迎え入れて「主の晩餐」(愛餐、感謝の祈り)をしましょう。主と共に生きていること、主にあって皆が共に生きることを証しましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から