2019年03月12日

旭日亭菜単(続き)その50

  • 「神と金と革命がつくった世界史/キリスト教と共産主義の危険な関係」(竹下節子著、中央公論社)
    如何にも出版社が販売促進を願って付けた書名です。フランス在住の著者自身による本当の題名は、表紙の脇にある「Genèse et Perversions du Pouvoir modern/近現代の国家権力の起源と腐敗」の方でしょう。前回に引き続き「エゾテリスム(秘教)史」研究者の本ですが、こちらは更に強烈な政治と経済と宗教の三竦みが描かれています。第1章−1だけは我慢しなければなりませんが、その後は余りにも面白くて、途中で置くことが出来ず、睡眠不足になること必至です。キリスト教と革命思想によって西欧に開花した「普遍主義」が如何にして成長し、権力交代を成して、その後に堕落して行くか…。ロシア革命、ラテンアメリカの「解放の神学」とバチカンとの関係に目を奪われます。社会革命と信仰との相克の中で格闘した人物として、シャルル・ペギー、エリック・サティ、岡本公三、ガイヨー司教の生涯が採り上げられます。そして第4章「近代日本の革命とキリスト教」では、大逆事件で逮捕された僧、内山愚童も登場します。第5章「東アジアの神と革命」では、中華文化圏の孔教、朝鮮半島の天道教が普遍主義を目指す試行錯誤が描かれています。
  • 「オカルティズム/非理性のヨーロッパ」(大野英士著、講談社選書メチエ)
    著者は(「アブジェクション」でお馴染み)ジュリア・クリステヴァの弟子筋の人です。ヨーロッパ思想史という立場からオカルティズムを俯瞰した力作です。欧米では進んでいるようですが、少なくとも国内では、この種の学術的なオカルティズム研究は稀少です。「ルネサンス魔術」の盛んなカトリック文化圏ではなく、プロテスタント文化圏から「神智学」が生まれたという指摘なども定説なのですね。フランス革命後の啓蒙主義的理神論者、ロベスピエールの背後には「神の母」なるカルト教団が存在していたこと、サン=シモンやフーリエ等のユートピア思想家の中にもオカルト思想が流れていたこと、後にカトリックに改宗した悪魔的秘密結社の女教祖ダイアナ・ヴォーンが架空の人物で、何も知らずに、リジューのテレーズが熱心に手紙のやり取りをしていたこと…面白すぎます。著者の結論は「キリスト教という、西欧にとって知的・「霊」的生活を律してきた啓示宗教が、唯物主義、進化論等、近代そのものともいえる「世俗化」によって、命脈を絶たれた後、なお、死後の生を信じ、霊魂の不滅を信じるために、唯物主義・進化論を作り出した主導思想である「実証科学」を逆手にとって、なおも、「宗教」を持続させたいと願う人々の意志が、近代オカルティズムを現代まで生き延びさせているとはいえまいか?」ということです。
  • 「ピクニック・アット・ハンギングロック」(ジョーン・リンジー著、井上里訳、創元推理文庫)
    あのカルト映画のファンとしては読まないで済ます訳には参りません。ハンギングロックにピクニックに行ったアップルヤード学院の生徒と教師が神隠しに遭います。物語は聖バレンタインの日に始まり、イースター直前の聖金曜日(キリストの受難日)で幕を閉じます。「不吉な綴織は、何の前触れもなく織られはじめたのだ」とあるように、1つの失踪事件が発端となって、多くの人たちの運命が描かれて行くのです。ゴブラン織りかジャカード織りか知りませんが、綴れ織り(タペストリー)のように、まるで事前に絵柄は決まっていたかのように展開して行きます。少女たちがハンギングロックを登り始めた時、昆虫や小動物たちが恐慌を来たしたのと同じように、登場人物が全て「バタフライ効果」(アマゾンの蝶1羽の飛翔がテキサスの竜巻を引き起こす)のように影響を受けるのです。マイケルとアルバートの同性愛的関係、救出されたアーマとマイケルとの擦れ違う思い、アルバートとセアラが同じ孤児院で育った兄妹だったのに接点が生まれないこと、そして、アップルヤード校長の末路…。あの映画のファンなら絶対に楽しめます。
  • 「黒魔術の娘」(アレイスター・クロウリー著、江口之隆訳、創元推理文庫)
    クロウリーの魔術書の翻訳者による、クロウリーの短編小説集です。魔術ネタが多いのは当然ですが、「キルケーの夢」には、真打ちエリファス・レヴィが登場します。クロウリーがE・レヴィの転生と自称していたことを思えば尤もか。個人的には、テレパシーの科学実験を続ける夫婦を描いた「マグダレン・ブライヤーの遺言」が一推しです。テレパスの妻(マグダレン)は悪魔(それとも死神?)の哄笑を耳にして、最愛の夫が死んだことを知ります。「セルヴェルトゥスの火刑をせせら笑ったカルヴァンの顔ですら、この笑いを聞けば慈愛に満ちたものに見えるでしょう。それほど完璧に地獄落ちの精髄を表している笑いだったのです」。改革派、長老派の信徒が読めば腰を抜かしそうな喩えです(笑)。「これではぼくは髪を刈られたサムソンよりも盲目だ。…同様に真実で、同様に虚偽、神の目にはすべてが虚偽にして真実、それらすべてを超えるものが神なのだ、子供、あの《子供》の頭脳だけがそれを把握できるのだ。幼子のようにならなければ、天の王国に入ることあたわじ!=v(「アイーダ・ペンドラゴンの試練」)。意外にクロウリーの言説、マトモに思われるでしょう。でも、これは魔術の最終段階「深淵の嬰児」なのだそうです。他には、硫酸で顔を焼かれた美女とか、斧で切断されて薪と共に積まれた美少女の四肢とか、小包から出て来る恋人の切り取られた唇と金髪とか、猟奇的でサディスティックな(女性に対する)描写も多々あります。
  • 「ゴールデンカムイ」第16巻(野田サトル作、集英社)
    土方歳三と土井新蔵(人斬り用一郎)との邂逅が泣かせる。幕末の京都で用一郎が「天誅」と叫んで斬り捲くる場面は、五社英雄監督の『人斬り』を参考にしていると思われます。彼が「先生」として従っていた男に切り捨てられるのも、『人斬り』の岡田以蔵と武市半平太の関係です。介錯を申し出る土方を留めて、「楽に死ぬのは申し訳ない」「天下国家のためと大勢殺した…」「「アイヌ」とは…「人間」という意味だそうだ」「俺はこの土地に流れ着いて…「人間」として生きた…自分だけ申し訳ない」と呟きながら果てて行きます。後半に登場する曲馬団の団長、山田と軽業師の長吉、キャラからして吉田光彦(劇団「天井桟敷」のポスターを描いてた漫画家)です。それに、丸尾末広の『少女椿』が少し入っています。キロランケが一宿一飯の恩義を受けたウィルタの女性に「チシポ」(アイヌの針入れ)をプレゼントする場面を見て、私も妻に「チシポ」を差し上げたのを思い出しました(全く使って貰っていませんが…)。
posted by 行人坂教会 at 20:13 | 牧師の書斎から