2019年04月21日

平和を食べる人は幸せか?

彼女(結城アンナ)と彼女の妹?(小学生)が無邪気に踊りながら、「わたし作る人」と言います。テーブルで待っているボーイフレンド(佐藤佑介)が笑顔で「ボク食べる人」と言います。最後に、三人並んで出来立てのラーメンを食べるのでした。一九七五年、ハウス食品の「シャンメン醤油味」(インスタントラーメン)のテレビ広告です。その当時、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」から、性的役割分業を固定化する性差別的表現として叩かれたものです。

イエスさまの「山上の説教」の巻頭に置かれている「八福の教え」「真福八端」(ラテン語では「ベアーティテュードー/Beatitudo」と言います)、その七番目の祝福は「平和を実現する人々は、幸いである」です(「マタイによる福音書」五章九節)。むしろ、少し直訳的に「平和をつくり出す人たちは…」「平和をつくる者は…」と訳した方が良いと思います。ギリシア語の「エイレーノポイオス/仲介者、調停者」それ自体が「エイレーネー/平和」と「ポイエオー/つくる、生み出す、創造する」の合成語だからです。

どの翻訳聖書も「つくる」という動詞に力点を置いています。ラテン語訳「ウルガタ聖書」は、平和を「フィンゴー/造り上げる、創造する」人、ドイツ語訳「チューリヒ聖書」は、平和を「フェルティゲン/製造する」人です。フランス語訳「エルサレム聖書」に至っては平和の「アルチザン/職人、熟練工」としています。

多くの英訳聖書では「平和をつくる人」は「ピースメーカー」と訳されます。そこから拝借して、(西部劇でお馴染み)コルト社の45口径6連発回転式拳銃「SAA/シングル・アクション・アーミー」の通称、冷戦時代のコンヴェア社の戦略爆撃機(六発)「B-36」の愛称として使われているのは、何とも皮肉な話です。北米大陸への植民者が圧倒的な武力を用いて彼らの平和を作って来た歴史(卑怯な「飛び道具」から無差別攻撃を意味する「戦略爆撃」に至るまで)を思わされます。

そして改めて「平和をつくる」とは、一体どんなことなのだろうかと考えた時、自然と「わたし作る人、ボク食べる人」という往年のキャッチコピーが思い出されたのです。イエスさまは「平和をつくる人たち」を祝福されましたが、祝福の裏には、必ず呪詛があることを忘れてはなりません。「平和を食べる人たち」「平和を貪る人たち」もいるはずです。もしかしたら、私たちは、したり顔で「平和の尊さ」等を説きながら、その実、自分たちの平和と安逸を貪っているだけなのではないでしょうか。

今と成っては、笑顔で「ボク食べる人」と言って、テーブルで待っているだけの男の子など、如何にも幼稚で依存的にしか見えません。佐藤佑介は「脆弱な美少年」キャラ(『恋は緑の風の中』『スプーン一杯の幸せ』)だったのですが、まさか、私たちに、そんな態度が許されるはずはありません。況して、私たちがイエスさまから召し出されている使命は「ラーメンを作ること」ではなくて「平和をつくること」なのですから。私たちには、身近な所から、人と人とを和解させる務めが与えられているのです。


【会報「行人坂」No.258 2019年4月発行より】

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