2019年04月29日

おびえる心の真ん中に【ヨハネ20:19〜23】

聖句「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち…。」(20:19)

1.《呼吸家》 加藤俊朗は独自の健康呼吸法を普及して「呼吸家」を自称なさっています。ある時、詩人の谷川俊太郎から、マザー・テレサの額入り生写真を貰って、事務所に掛けていると、マザーが現われて「キリストさん」を紹介してくれたと言います。「キリストさん」は彼に「呼吸に愛を入れなさい」と教えてくれ、以来、左の掌に愛の指文字を書いて呼吸するとのことです。

2.《不偏心》 東方正教会には「ヘシュカム」という祈りの身体技法があり、修道士は独自の呼吸法と座法によって祈ります。但し、ヨーガや座禅が技法だけ利用されて、中身の信仰が疎かにされているのと違い、大切なのは、そこで唱えられる「イエスの祈り」です。カトリックにも「サダナ」という呼吸瞑想法がありますが、その基本はロヨラの『霊操』です。「霊操」の「不偏心/indifferentia」とは「区別しない心」です。病気より健康を、貧困より裕福を、不名誉よりも名誉を求める私たちの価値判断は、被造物に偏っているのです。

3.《息吹き》 弟子たちは「恐怖/フォボス」に囚われています。「ユダヤ人恐怖症」として描かれています。自身もユダヤ人ですから、一種の自閉症です。エルサレム入城の時には得意満面だったのですが、今は自らの弱さ小ささ、ダメさ加減に打ちのめされています。しかし、そんな時に初めて、私たちは神の働きに気付かされるのです。復活の主は「真ん中に」立って、彼らに愛と赦しを宣言されます。復活のイエスさまにとっては、生と死、罪人と義人、信者と不信者、何の「区別」もありません。主が息を吹き込まれると、窒息寸前だった弟子たちは風船が膨らむように希望で満たされます。彼らは死からも、この世の生からも自由にされたのです。「主は生きて居られる」のですから。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:53 | 毎週の講壇から