2019年05月18日

旭日亭菜単(続き)その51

  • 「プリニウス」第8巻(ヤマザキマリ+とり・みき作、新潮社)
    本作を連載していた「新潮45」が休刊に成って心配していましたが、何とか続きを読むことが出来るようです。前回の大ピラミッドに続き、アレクサンドリアの灯台と図書館、クレタ島の迷宮(ミノタウロスも)、ロドス島の巨像が描かれていて、絵的には大きな見せ場に成っています。物語の見せ場の方は、専らネロ帝を巡るローマの陰謀譚が担当しています。大抵、ネロの悪行の原因とされている皇妃ポッパエアを、病的な夫に献身する女性として描き、ティゲッリヌスが大悪人として描かれています。そして、あの「サテュリコン」のペトロニウスも一場面、ティゲッリヌス関連で登場しています。
  • 「霊能者列伝」(田中貢太郎著、河出書房新社)
    最初に、丸山教の伊藤六郎兵衛、金光教の川手文治郎、大本教の出口直、黒住教の黒住宗忠と、江戸末期から明治初期に生きた4人の新興宗教の教祖が採り上げられています(どうして、天理教の中山みきが無いのでしょうか)。金光教は、金神(こんじん)の祟りによる不幸で始まりながら、後年、教祖川手は方位や呪(まじな)い、穢れ等を一切否定してしまう程の変わりよう、これには興味を持ちました。後半は、所謂「教祖」に分類できない人たち5人が採り上げられます。「日本のラスプーチン」飯野吉三郎の評伝には、ジョージ・ノックス(明治学院)、植村正久、本多庸一(青山学院)、巌本善治(明治女学校)、津田仙(津田塾)、押川方義(東北学院)、根本正(東京禁酒会)等、明治期の基督者たちの錚々たる顔ぶれも言及されていてビックリ。零落して、世間から見放された「メシヤ仏陀」宮崎虎之助の生前葬の招待を受けて、羽織袴姿で頭山満(玄洋社)が出席する辺り感動的です。頭山が金玉均(キム・オッキュン)への支援を最後まで続けた逸話なども思い出されます。生きながら神仙界に移された河野久の評伝は幻想小説さながらです。
  • 「夜は千の目を持つ」(ウィリアム・アイリッシュ著、村上博基訳、創元推理文庫)
    この作品、映画化されて日本でも公開されているのですが、評判は芳しくありません。主題歌(バディー・バーニア作曲、ジェリー・ブレイニン作詞、ボビー・ヴィー歌)だけが、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズ、ホーレス・シルヴァーらに採り上げられて、ジャズの名曲として生き残っています。曲は知っていたのですが、原作を読むのは初めてです。身投げしようとする娘を、夜の川べり散歩を趣味にしている刑事が助けたことから事件が発覚するのですが、彼女の「告白」部分には圧倒されました。これだけで立派な短編小説です。そこから間髪を入れず「捜査活動のはじまり」に切り替わる大胆な構成。事件の鍵を握るのは、的中率百%の「予言者」、幻想小説の一歩手前で踏み止まる(推理作家としての)著者の矜持を思います。猛獣(ライオン)が「死の宣告」に絡んで来るのは、前回読んだ「黒いアリバイ」の黒豹と似ていますね。
  • 「聖遺物崇敬の心性史/西洋中世の聖性と造形」(秋山聰著、講談社学術文庫)
    「聖人ないし聖遺物は、いわば神がその力を地上で行使するためのメディア(媒体)だった」と定義されています。聖遺物の「ウィルトス/virtus/力」はウィールス(virus)のように感染力を持っていて、それに見たり触れたりした人々を癒したり、近接する物や場に霊力を与えたりするのです。フリードリヒ賢明公のヴィッテンベルク聖遺物コレクションの殆どが散逸する中、唯一、聖エリザベートのグラスだけが現存しているのですが、それは聖遺物を崇敬しないルターが自分のビールグラスにしていたからという皮肉。更には、そのルター当人もまた、デスマスクや手形を取られて、蝋人形のように展示されて、ルター教徒の崇敬の対象にされていたという皮肉。巻末の「注」まで楽しめる本でした。
  • 「夢の本」(ホルへ・ルイス・ボルヘス著、堀内研二訳、河出文庫)
    西は「ギルガメシュ叙事詩」から東は「荘子の夢」まで、古今東西の夢の話を集めてあります。それにしても「ヨセフの夢に現われた主の使」で「彼女の胎内にあるものは精霊による」と成っているのは如何なものでしょうか。たとえ原典が「Espíritu」とだけ書いてあったとしても(「Santo」が抜けていても)、ここは「聖霊」と訳すべきではあるまいか。訳者自身が「本書翻訳の過程で、原書からの直接訳を参照すべく、大学図書館の書庫の中の、ふだんはほとんど訪れることのない聖書関係の書架、…文学等の書架をしばしば訪れた」と「あとがき」に記しているだけに訝しく思われます。それはともかく、フランシスコ・デ・ケベードの「最後の審判の夢」が笑えます。何しろ、マホメットとルターとユダとが一緒に地獄をマヨマヨしているのですから。
  • 「ゴールデンカムイ」第17巻(野田サトル作、集英社)
    尾形百之助が樺太国境線を越えた時から、いずれ出て来ると思っていました、日露スナイパー対決が巻頭を飾ります。同時に爆弾屋キロランケの過去も開陳されて、構成と展開に破綻がありません。これだけのヒットマンガですから(テレビアニメ化も続いているし)、今や、かなり手堅いスタッフによるチームワークに成っていると見ました。「山猫」は「狙撃手」と「芸者の子」の二重の意味を持つ隠語です。そこに、さり気なく「メコオヤシ/オオヤマネコ」を登場させたりするのです。
posted by 行人坂教会 at 15:03 | 牧師の書斎から