2019年05月27日

聖なる者となれ【レビ19:1〜18】

聖句「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」(19:2)

1.《殿堂入り認定》 「聖者、聖人」と言うと、マザー・テレサを思い浮かべる人が多いでしょう。実際、2016年に彼女はローマ教皇庁から列聖されています。20世紀には、シュヴァイツァー、ガンディー、賀川豊彦が「世界三聖人」と謳われた時代がありました。特に賀川は米国のワシントン大聖堂に彫像が設置されており、殆ど野球やゴルフの「殿堂入り」を思わせます。この「名誉の殿堂」という顕彰の習慣は、カトリック教会の列聖の世俗化したものでしょう。

2.《聖徒の交わり》 キリスト教史上初の聖者は、十字架の強盗ディスマスとされています。教皇庁などの認定ではなく、主御自身が「今日あなたは私と共に楽園にいる」と宣言されたのです。カルヴァンが聖人崇敬を偶像礼拝と否定して以来、その流れを汲むプロテスタント諸教派では、全てのクリスチャンは「聖徒」とされています。事実、聖書によれば「聖なる」は、人間の道徳的特性(功徳)を言うものではありません。真に「聖なる」のは独り神御自身のみです。神の義と聖と贖いによって結ばれた仲間(ともがら)が「聖徒」なのです。

3.《神の民として》 主が「あなたがたは聖なる者」と宣言されたのも「会衆」です。個人としての「聖者」は存在しません。呼び掛けに応えて集まった「聖徒」が存在するだけです。主が「聖なる者」だから、会衆も「聖徒」とされるのです。「聖なる者となれ」「聖なる者とならなければならない」と訳されますが、命令でも強制でもなく、本来は「私が聖なんだから、聖なるはずだよ」とのエールではなかったでしょうか。「聖」とは「清」ではなく「取って置き」の意味です。この後に続く律法も規則ではなく、況してや救いの条件でもなく、聖徒(神の民)として生きるための日々の実践が語られているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 10:52 | 毎週の講壇から