2019年07月06日

旭日亭菜単(続き)その52

  • 「怪獣」(岡本綺堂著、中公文庫)
    時代劇作家の「怪獣物」と言うと、宮部みゆきの『荒神』のような式神が出て来るものと期待してしまいますが、飽く迄も「怪しげな獣」なのです。「恨の蠑螺」はサザエ、「岩井紫妻の恋」は狐、「深見夫人の死」は蛇、「夢のお七」は鶏です。「海亀」「鯉」「鼠」等、題名がそのものズバリの短篇もあります。明治時代に成ってから「実は、御一新の前の話ですが…」と語られるパターンが特徴的で、杉浦日向子の漫画を思い出したりします。不思議な話が、ただ不思議なまま終わってしまうことも多く、人を怖がらせるのが目的の「怪談」ではなく、「怪譚」という風情です。でも「海亀」が結構怖かったな。妖怪事典に出て来る「和尚魚」「海和尚」です。だから、アオウミガメは別名「正覚坊」と言うのですね。でも、ここに出て来るのはアカウミガメなのですが…。
  • 「死者の百科事典」(ダニロ・キシュ著、山崎佳代子訳、創元ライブラリ)
    表題作は、父を亡くしたばかりの女性が、旅先の図書館で、世界中の無名の死者の生涯を綿密に綴った書物に出会い、父親の項目を読み耽るという幻想的な話です。しかも、作者の後書きによると、生者死者を問わず全人類のデータをマイクロフィルムに記録しようとする保管庫がソルトレーク市に実在していると言うのです。モルモン教徒が系譜学に対する信仰の故に収集事業を続けているのだとか…。ダニロ・キシュはユーゴスラビアのユダヤ人です。クルアーン「洞窟の章」から採られた「眠れる者たちの伝説」、「シオン賢者の議定書」(ユダヤ人による世界支配の陰謀が記載された、所謂「プロトコル」)の成立を揶揄と皮肉で描き切った「王と愚者の書」、加えて「師匠と弟子の話」「未知を写す鏡」もユダヤ教の匂いが濃厚です。しかし、絶対のお薦めは「魔術師シモン」です。アポリネールにも同名の短篇がありますが、ダニロ・キシュは圧巻です。読者は暴力的に投げ跳ばされて、言いようのない悩ましい一夜を過ごすことに成るでしょう。
  • 「玉藻の前」(岡本綺堂著、中公文庫)
    題名からも分かるように金毛九尾の狐、言わずと知れた「殺生石伝説」なのですが、九尾の狐退治の物語それ自体は、単なるエピローグに過ぎません。千枝松と藻(みくず)の幼馴染みが交わす恋物語から始まります。ところが、狐に取り憑かれた少女藻は関白藤原忠通に取り入り、妖艶な「玉藻の前」と成り、天皇の采女(うねめ)に推挙され、朝廷の奥深くにまで喰い込もうという勢いです。対して、千枝松は陰陽師安倍泰親(安倍清明の子孫)の弟子と成ります。こうして妖魔と退魔師の立場に分かれた二人の悲恋こそが、この小説の主眼です。綺堂はゴーチェの「クラリモンド」の日本版をやりたかったみたいです(綺堂は自身で訳して『世界怪談名作集(上)』に編集していますもの)。
  • 「ゴールデンカムイ」第18巻(野田サトル作、集英社)
    自分の目の前で、可愛い我が子が死んでしまった時、大きな事故に遭ってしまった時、重病に倒れてしまった時、親は何もしてやれない自分を責め、こう思うのです。「私が代わりに成るから、この子を助けて欲しい」「どうして私ではなく、何の罪も無い幼い子がこんな目に遭うのか」。遂には、関谷輪一郎のように「本来なら神は自分を罰するべきだ」と、自己処罰(破滅)を目指すのかも知れません(関谷が幼い娘と共に礼拝に通った、木造の小さな教会堂がよく描けています)。それに対して、写真館の長谷川幸一は自分の巻き添えで妻子が死んで、勿論、悲しみますが、自分の属する組織(国家、軍隊)のために邁進します。両者共に人殺しに過ぎませんが、人生観の違いが殺人の動機の違いに表われています。
  • 「母の記憶に/ケン・リュウ短篇傑作集3」(ケン・リュウ著、古沢嘉通他訳、ハヤカワ文庫)
    ケン・リュウの短篇はどれも重い。軽々と他人から手渡された荷物が、自分の腕の中でガクンと重量を増したような、そんな錯覚を感じるのです。表題作は、不治の病を宣告された母親が宇宙旅行(時間停止)を繰り返し続けて、娘の成長を見届けようとする、痛々しい作品です。遠隔操作の兵器オペレーションシステムの開発者を描く「ループのなかで」、自分の魂をアイスキューブ化して冷蔵庫に入れている若い女性の「状況変化」、強い予知能力を持つ女性エスパーが(大量殺人事件を防ぐために)犯人(に成る予定の人物)を殺戮する「カサンドラ」、どの作品でも、余りに複雑な社会、高度な技術の中で、引き裂かれる人間たちの悲鳴が聞こえるのです。「われわれは今やサイボーグ民族なんだ。われわれはずっと前に精神をエレクトロニクスの領域に拡張しはじめた、そしてもはや自身のすべてを個人の脳髄に無理やりもどすのは不可能なんだ」(「パーフェクト・マッチ」)。私たち自身が今や「端末」なのかも知れません。連続殺人犯を追う女性私立探偵を描く「レギュラー」は、サイバーパンクとハードボイルドの融合で、エフィンジャーの『重力が衰えるとき』みたいです。
  • 「法水麟太郎全短篇」(小栗虫太郎著、河出文庫)
    衒学趣味の私立探偵「ノリリン」こと、法水麟太郎の登場する短篇8つが収録されています(矢作俊彦作、谷口ジロー画の『サムライ・ノングラータ』の主役コンビの片割れ、元傭兵「ノリミズ・リンタロー」の出典でしょう)。小栗を読むのは、大学時代に読んだ『黒死館殺人事件』以来です。「後光殺人事件」「聖アレキセイ寺院の惨劇」「夢殿殺人事件」「失楽園殺人事件」と、最初の4作はいずれも宗教絡みです。但し「聖アレキセイ…」はロシア正教会の寺院が舞台で、しかも、トリックは鐘(ロシア正教では「音のイコン」とすら言われる)、容疑者たちも亡命ロシア人たちなのに、ヒロインがカトリックの某女子修道会に属しているのは如何なものでしょう。「オフェリヤ殺し」「人魚謎お岩殺し」は、東西の芝居の薀蓄に溢れています。「人魚謎…」には、畿州公が離れ小島に体格の良い流刑囚の男女を集めて、巨人育成を行なっていたという怪しげな逸話が出て来ますが、江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』に触発されたのでしょうか。
posted by 行人坂教会 at 13:47 | 牧師の書斎から