2019年07月28日

灰をおろそかにするなかれ

1.安否不明者

私は先月、アニメの「聖地巡礼」について書いたばかりでした。「聖地巡礼」ブームのキッカケに成った作品として『涼宮ハルヒの憂鬱』と『らき☆すた』を挙げていたのですが、まさか、それらの作品を製作した「京都アニメーション」第1スタジオが放火されて、こんなに悲惨な大事件が起きる等とは…夢にも思いませんでした。

事件発生から数日を経て、今日現在(7月23日)においても、未だに死者の身元特定が出来ないという中で、「安否不明者」として、武本康弘監督の名前が挙げられるように成りました。「京アニ」の製作作品で言えば、前述の2作の他に、『けいおん!』(2009年)、『けいおん!!』(2010年)、『日常』(2011年)、『境界の彼方』(2013年)、『響け!ユーフォニアム』(2015年)等の作品で、監督、演出、原画、絵コンテなどを手掛けた作家で、アニメ業界では有名な人物でした。

この「安否不明」という状況は、2016年の「相模原障害者施設殺傷事件」を思い出さずにはいられません。あの事件の時には、全く別の事情で被害者の名前が伏せられたままだったのですが、事件の重大さ悲惨さが明らかに成って行く過程で、容易に連想されました。そう言えば、あの事件も7月の事件でした。

2008年の「秋葉原通り魔事件」の事も思い出されました。その1年前の2007年には、秋葉原で『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディング・タイトルに流れる「ハレ晴れユカイ」のダンスを、全国から「ハルヒ」ファンが集まって踊っていた事が思い出されます。私は東京に来たばかりだったので、その不思議な光景をよく覚えています。

2.虐殺と攻撃

そう言えば、英語版の「ウィキペディア」によると「秋葉原通り魔事件」は「Akihabara Massacre/秋葉原虐殺」、「相模原障害者施設殺傷事件」は「Sagamihara Massacre/相模原虐殺」と呼ばれています。今回の「京都アニメーション放火事件」は「Kyoto Animation Arson Attack/京都アニメーション放火襲撃」の呼称に成っていますが、私は今回もまた、「マサカー/虐殺」だったと思います。しかし、オウム真理教による「東京地下鉄サリン事件」が「Tokyo Subway Sarin Attack/東京地下鉄サリン攻撃」であった事を考え合わせると、あれは「アタック/襲撃、攻撃」であったという事も間違いありません。

何を下らない事を言っているのかと思われるかも知れませんが、とにかく、私は「事件/アクシデント」という表記が許せないのです。「事件/アクシデント」では、突発的、偶発的に起こった出来事であるかのような意味にされてしまうのです。しかしながら、ここに挙げた4つの犯罪は、いずれも計画的な犯行です。断じて「犬も歩けば棒に当たる」的な事柄ではありません。ですから、どうしても「事件」等という日本語的な言い回し、犯罪者の責任を曖昧にするような表現が許せないのです。それらは、確かに「虐殺」であり「攻撃」だったと思うのです。

そして特に「攻撃」と言う場合に含まれるのは、その「攻撃」は、ただ単に「東京の地下鉄」や「京都アニメーション」に対する「攻撃」に終わるものでは無く、私たちの社会全体に対する、私たちの魂に対する「攻撃」なのだという実感です。それは「虐殺、大量殺人」と言う場合にも、意識されて然るべき感覚です。「事件」等と呼んでいたのでは、どこまで行っても「他人事」の域を出ないのでは無いでしょうか。

被害者は「虐殺者」による「攻撃」によって殺されたのです。辛うじて命を奪われなかった人たちも(そして、遺族、被害者家族も)、この「攻撃」によって、心身に大きな障碍や傷を負わされて、これから長い年月、苦しみに耐えなければならないのです。そのような現実を、どこかで曖昧にして、すぐさま「追悼」して行く感覚に違和感を抱かざるを得ません。日本語は、そんなにも想像力の欠落する言語に成ってしまったのでしょうか。

3.心に王冠を

「京アニ」の事を考えながら悶々としていたら、ハードディスク・レコーダーの録画の中に「京アニ」製作の『映画 聲(こえ)の形』(2016年)が録ってあるのを思い出しました。我が家の二男が録画してくれていたのです。しっかり「誤削除防止ガード」までしてありました。『聲の形』は、大今良時原作のコミックス(「週刊少年マガジン」に連載されていた)のアニメ映画化です。思わず観てしまいました。

先天性の聴覚障碍を持つ西宮硝子(早見沙織)が小学校6年生のクラスに転校して来た事から始まる、クラスの関係性の変化、イジメ、不登校、対人恐怖症などが描かれます。それから6年後、硝子イジメ先鋒だった石田将也(入野自由)は、高校3年生に成った春、硝子に再会して、そこから新たな物語が始まるのです。

岐阜県大垣市や養老町を舞台にしているのですが、街の風景(鯉の泳ぐ疏水、養老鉄道、養老天命反転地など)が細部まで丁寧に描き込まれています(それこそが「京アニ」です)。そのような風景のディティールの積み重ねが、登場人物たちの言葉や仕草や佇まいにリアリティ(アニメなのに!)を与え、その心の動き(コミュニケーションの成立、不成立の度毎の)に何度も泣かされてしまうのです。

こんな映画を作っていたアニメ製作会社のスタッフが虐殺され、スタジオが焼かれてしまったのです。窓の奥に見える煤の暗黒に(私自身も含めて)多くの人たちが、言いようの無い虚無感を抱いています。それ故、せめて私はパラケルススの言葉を献げましょう。「灰をおろそかにするなかれ。それは、汝の心の王冠、永遠なる物質の質料なのだから/Cinerem ne vilipendas, nam ipse est diadema cordis tui, et permanentium cinis」(「哲学者の薔薇園」)。

牧師 朝日研一朗

【2019年8月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など