2019年08月26日

たとえ小さな信仰でも【マタイ8:23〜27】

聖句「イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』 そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」(8:26)

1.《海原と大嵐》 公園の貸しボートですら、何かの拍子に揺れると驚きます。況してガリラヤ湖は霞ヶ浦ほどもあり、地元民からは「ガリラヤの海」と呼ばれていました。ギリシア語聖書では、ガリラヤ湖も紅海や地中海と同様に「タラッサ/海」と呼ばれているのです。周囲を山々に囲まれて、擂り鉢の底のように成っているため、山から湖面に突然の突風が吹き降ろすことがあるようです。

2.《眠るイエス》 イエスさまは乗り込んだ舟の中で、漕ぎ手が尻に敷く座布団を枕に(マルコ4章38節)、安らかに眠り込んでしまいます。「人の子には枕する所もない」と仰るような大変さでしたが、信頼できる弟子たちだけを乗せた舟の上で、すっかり安心なさったのではないでしょうか。ここには、押し寄せる群衆も悩み苦しむ人も、敵対するファリサイ律法学者もいません。「激しい嵐」も何のその、全てを神に委ねて居られるイエスさまにとっては、自然の猛威も神の御手の中ですから、何の心配も要らなかったのでしょう。

3.《小さな信仰》 イエスさまは「風と湖とをお叱りに」なったので、怯える弟子たちを叱責なさった訳ではありません。弟子たちの不信仰を批判して居られるのでもありません。「信仰の薄い者たち/オリゴピストイ」は「小さい、少ない/オリゴス」と「信仰/ピスティス」の合成語です。たとえ小さく薄くても、信仰が無い訳ではありません。主は弟子たちに全幅の信頼を置いて安眠して居られたのです。弟子たちも「主よ救い給え」と叫びました。何より、イエスさまと同じ小舟に乗り込んでいるのです。臆病で小心かも知れませんが、これが信仰なのです。主は「小さな信仰」に目を留められるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から