2019年10月14日

愛が冷え切った世界で【マタイ 24:1〜14】

聖句「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(24:12,13)

1.《嘆きの壁》 エルサレムには「西の壁」と呼ばれる場所があります。2千年間、ユダヤ教徒はその壁の前で嘆きの祈りを奉げています。紀元66年、第一次ユダヤ戦争の際、ローマ軍によって破壊された神殿の残骸なのです。ユダヤ人は将来、ダビデ王家を継ぐメシアが来臨し、神殿が再建されることを願って祈り続けているのです。それが彼らの終末信仰なのです。

2.《神殿崩壊》 弟子たちはエルサレム神殿の威容を見て感動しています。「おのぼりさん」です。神殿の大きさ(メガス)に見とれて(テアオマイ)いるのです。しかし、イエスさまは神殿崩壊を預言されます。すると直ちに、弟子たちは神殿崩壊と世界の終わりが、いつ起こるのか主に尋ねます。弟子たちは、スペクタクルな展開を期待して、好奇心を満たそうとしているだけです。即物的で興味本位で、自己中心的です。エルサレムの破滅を予感して、涙を流された主の御心とは大違いです。イエスさまは終末の時を「知らない」と突っ撥ねられます。終末の時に執心するのは、福音信仰からすると、邪道、外道なのです。

3.《セカオワ》 「SEKAI NO OWARI」のボーカリストは、ADHD(注意欠陥・多動性障害)を患っていて、何度も「世の終わり」と呻くような挫折と絶望を経験し、それでも音楽を支えに「世界の終わりから始めてみよう」と決意したと言います。偽預言者、戦争と内乱、飢饉や地震などの自然災害、迫害、信仰の躓き、裏切りに憎しみ合い、倫理観の喪失、無法状態、愛の消滅と「世も末」と思われますが、「そういうことは起こるに決まっている」のです。愛を「冷やす」のは「プシュコー」、私たち自身の「プシュケー/息、命、霊魂」なのです。ダメな自分に耐え忍ぶ者に、主は救いを約束されたのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:51 | 毎週の講壇から