2019年11月04日

信仰によって今も語る【ヘブライ 11:1〜12】

聖句「神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」(11:4)

1.《死人に口無し》 ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」では、ライドが落下する瞬間に「Dead men tell no tales/死人に口無し」という声が聞こえます。シュニッツラーの短篇小説にも、メキシコ製西部劇にもありますから、誰もが思うことなのでしょう。日本では、江戸時代の句集「誹風柳多留」の中の「死人に口無し置き土産とぬかし」という古川柳が発祥とされています。

2.《不公平な人生》 しかし、聖書は「信仰者は信仰によって今も尚語る」と全く反対の事を言います。死んでしまえば、もう語ることは出来ず、取り返しはつかないのです。「創世記」4章の「カインとアベル」の物語は不公平な物語です。神はアベルの献げ物にのみ目を留め、その悔しさからカインはアベルを殺害します。殺されたアベルの血は大地に吸い込まれ、その血が復讐と呪いの叫びを上げるのです。突然に命を奪われたアベルにとっても、不条理極まりない話です。けれども、このような不公平や不条理は誰でもが経験することでしょう。

3.《信仰によって》 追放されたカイン(現人類)も「さすらい」の中を生きていかなくてはなりません。本来、旧約聖書では「呪いの物語」だったのです。しかし、新約聖書はそれを「祝福の物語」へと転換しました。アベルが「信仰によって今尚語る」は「ラレオー/小鳥が囀(さえず)る、お喋りをする」です。彼は「信仰」を証しているのです。信仰とは希望が実現すると信じること、未だ見ていないことを信じることです。死後のことは誰にも分かりません。しかし「分からない」に立ち尽くすのではなく、望みや願いを胸に生きること、信じることへと一歩を踏み出しましょう。私たちが神さまに「信じます」と告白しさえすれば、そこにインターネットのように回線が開かれるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 23:01 | 毎週の講壇から