2019年11月24日

クリスマスの想い出

1.寸劇の時

私は、1981年のクリスマスの礼拝で、深田未来生先生から洗礼を受けました。深田先生はUMC(United Methodist Church/米国合同メソジスト教会)の宣教師であると共に、同志社大学神学部の実践神学の教授でした。洗礼を受けた上賀茂伝道所(現・京都上賀茂教会)は、1974年に設立されました。70年安保闘争に端を発する学生たちの問題提起は教会の中にも及び、「教団紛争」と後に呼ばれる出来事があり、大勢の青年たちが教会から去って行きました。そんな中、村山盛敦(日本クリスチャンアカデミー)、杉瀬祐(同志社女子大学)、深田未来生(西陣労働センター&同志社大学)の3名の牧師が、旧い教会制度に囚われないクリスチャンコミュニティーを目指して、UMCの宣教師館(つまり、深田先生の自宅)を会場にして日曜礼拝を始めたのでした。

そんな教会でしたから、礼拝は車座にイスを並べ、奏楽はピアノとリコーダー、説教者も座ったまま喋ります。お互いの近況報告や仲間の消息を共有する時間を持ち、その直後に司会者から当てられた人がお祈りをしました。クリスマスの礼拝は夜に行なわれて(イヴ礼拝ではありません)、その時だけは大人数が集まりました。その礼拝の中で、お芝居をさせられたことがあります。ラーゲルレーヴの「キリスト伝説集」の中の一篇「ともしび」でしたが、髭面であるという理由だけで、私は主役のラニエロを演じさせられたのでした。

2.電飾の夜

私が最初に赴任したのは南大阪教会でした。大正時代の終わり(1926年)に設立された教会ですが、戦後、同志社の学長だった大下角一というカリスマ(「自由人にして野人」と謳われる)が牧師を務められた教会です。また、阪田寛夫の童謡「さっちゃん」は、南大阪教会附属幼稚園での想い出から生まれた歌です。

礼拝堂は有名な建築家、村野藤吾の設計になるもので、ローマのカタコンベをイメージして造られた(1980年)と言います。村野藤吾は東京で言えば、日生劇場、千代田生命保険ビル(現・目黒区総合庁舎)、日本ルーテル神学大学、新高輪プリンス等の建造物が知られています。実は、礼拝堂の入口には、旧礼拝堂の塔屋が納骨堂として残されていて、これが村野のデビュー作(1928年)とされているのです。その塔屋の傍らには、大きな樅の木があり、アドベントに成ると、青年会が電飾を付けるために登っていたものです。

クリスマスイヴとも成れば、幼稚園のある教育館では、婦人会のメンバーがテンテコ舞いで働いていて、食事の準備を為さっています(まるで、バザー直前です)。独り者の私のために、ミートローフの差し入れが届いたり、夕方に成ると、有志の奉げた寿司の仕出しが聖歌隊員に振る舞われたり、「バブル時代」の事ゆえ、大変に豪勢でした。

しかしながら、イヴ礼拝の司式とメッセージは伝道師、副牧師の役目とされて居り、余りの大舞台に、私は折角ご馳走を頂いても全く食べた気がせず、ミートローフ以外は記憶に残っていません(ミートローフは何日かに渡って食べたので、記憶に残っているのです)。

3.夜は短し

次に赴任したのは、人口が2万余の宮崎県串間市にある日向福島教会でした。飫肥教会の姉妹教会として、戦後すぐに生まれた教会です(1948年)。会員が10名足らずの教会でありながら、道路拡幅工事の御蔭で、白塗りの美しい会堂が建っていました。米国のテレビシリーズ『大草原の小さな家』の教会をリニューアルしたイメージです。

クリスマスイヴ礼拝では、聖画のスライドを利用したり、教会学校に来ている小学生の女の子たちに「世界ではじめのクリスマス」(「友よ歌おう」収録)をパートごとに歌って貰ったり、毎年の工夫が評判を呼んで、50人以上も町の人たちが集まったことがありました。

ある年には、礼拝後に子どもたちを引率して、会員の家を回るキャロリングをしました。最後に訪ねたお宅では、温かい善哉を振る舞って貰いました。今思えば、まるで「ハロウィン」のようでした。現在の東京と違い、今から約30年前、小さな田舎町のことです。真っ暗な中をペンライトを持って歩きます。勿論、子どもたちは責任を持って、私と会員が手分けして、午後10時前には自宅に送り届けましたが、「夜遅すぎる」という事で、以後「子どもキャロリング」は中止に成ってしまいました。

4.氷結の国

北海道では「ホワイトクリスマス」は当たり前。札幌市の琴似中央通教会は「北拓伝」で設立された教会です(1959年)。在任当時、聖歌隊が盛んで、イヴ礼拝が終わると、有志でキャロリングに回るのですが、これが結構、命がけなのです。札幌では12月を過ぎると、雪と霙(みぞれ)が繰り返し降り積もり、遂には「根雪」と成るのですが、スタッドレスタイヤで磨き上げられた車道の路面はツルツルで、スケート靴を付けずに、スケートリンクの上を歩いているような趣きがあります。私自身、何度、転倒したか知れません。

土地柄でしょうか、普通の市民にとっても教会は身近な存在です。地下鉄の駅前で歌っていると、飛び入りで、一緒に歌い始めるクリスチャンが毎年のように居られました。ルートの中に2つの病院が入っています。勿論、病院の中には入れませんから、駐車場で歌います。すると、キャロリングがやって来るのを待っている患者さんや医療スタッフがいて、病室の窓から見てくれています。私たちは、窓辺に佇む人、手を振る人に向かって、ペンライトを振って「メリークリスマス!」と叫びます(まるで『ホーム・アローン2』です)。

キャロリングから教会に戻って来ると、婦人会が温かい飲み物や軽食を用意して下さっていて、夜遅くまでパーティーが続きました。北国故の無礼講だったのだと思います。

牧師 朝日研一朗

【2019年12月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など