2019年12月16日

信じた人は何と幸いでしょう【ルカ1:26〜45】

聖句「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(1:45)

1.《命の瀬戸際》 イングマル・ベルイマン監督の映画『女はそれを待っている』は、産婦人科病院を舞台に同じ病室の3人の女性が描かれます。流産直後に再び妊娠して結婚生活を呪っているセシリア、男に騙されて捨てられ、望まぬ妊娠をしたヨルディス、子どもの誕生を心待ちにしているスティナです。しかし、皮肉なことにスティナの子は死産でした。原題は「命の近く」「命の瀬戸際」です。

2.《喜び仕える》 マリアが天使から受胎告知を授かった時、エリサベトは妊娠6ヶ月でした。聖人伝は、訪問の際、マリアは3ヶ月、エリサベトは7ヶ月と言います。「ロザリオの祈り」の「御訪問」には「自分のことよりも、いつも喜んで他人に奉仕する愛する心を深めることが出来るように」との課題が掲げられています。つまり、マリアは自身が心に大きな不安と苦悩を抱えていながらも、咄嗟に他人に手を差し伸べるために動いたのです。「自分よりも他者を優先するのが愛だ」と言われますが、喜びが宿っていることが大切なのです。

3.《喜びの訪れ》 マリアは喜びの余り「急いで行った」のです。「挨拶した」との表現もギリシア人の挨拶「カイレー/喜べ」と繋がります。受胎告知の場面では「おめでとう」と訳されています。その声を聞いて、エリサベトの胎の子は「歓喜に飛び跳ねる」のです。聖霊に満たされたエリサベトはマリア母子を賛美/祝福します。これら全てに喜びが宿っているのです。マリアは自身の懐妊は誰からも喜ばれない、理解されない、祝福されないと思っていました。しかし、この時初めて、自身も胎の子も祝福された存在であることを実感したのです。そして「マリアの賛歌/マグニフィカート」を歌うのです。他の人と喜びを分かち合う時、私たちの悩みや憂いが喜びへと変えられるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から