2020年03月09日

謝罪の神さま【使徒言行録11:1〜18】

聖句「すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。」(11:9)

1.《人間の心》 聖書、とりわけ旧約を読むと各文書の多様性に驚かされます。律法あり歴史物語あり、詩あり小説あり、預言書ありです。どのような歴史的背景があり、どのような文脈で語られているか吟味が必要です。いずれも神を証する文書であることは確かですが、証し人も時代状況も異なりますから、自ずと神さまのイメージも違います。人間の心がそれを映し出しているのです。

2.《神の御心》 聖書の神さまには、時折り驚かされることがあります。例えば、教科書的に「全知全能、唯一絶対の神」と教えられていますが、その神が「後悔なさる」のです。ヘブライ語の「後悔する」には「慰められる」の意味もあります。弔問客の「お悔やみ」に遺族が「慰められる」構図と同じです。民を滅亡させようとする時、神さまが思い直したり、悔いたり為さるのですが、それは人間に対する慈しみの故です。一旦決定した計画を変更できずに、破滅に向かうのを「コンコルドの誤謬」と言いますが、それこそは人間の業なのです。

3.《ブレーキ》 私自身も、子どもたちに暴言を吐くことが多かったのですが、思い直して謝ることを学びました。悪かった時には「悪かった」と素直に謝れる親であることが大切です。それが最大の愛情表現であり、尊厳なのです。私たちが守ろうとしているのは、大抵、面目なのです。ペトロはエルサレム教会の指導者でありながら、ユダヤ教の律法に追従した過去を悔いて、無割礼の異邦人に洗礼を授けて、同じ信仰者と認めました。教会も公認しましした。神の権威は「光輝き」、即ち、礼拝にあっての「臨在」です。「主は生きておられる」「共におられる」事です。イエスさまの力は、愛する力、赦しの力です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:54 | 毎週の講壇から