2020年03月30日

見捨てて逃げてしまった【マルコ14:43〜52

聖句「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」(14:51,52)

1.《逃走は有意義》 数年前にドラマ化されて話題になった『逃げるは恥だが役に立つ』は、海野つなみの少女マンガが原作です。原作では毎回のサブタイトルが諺になっています。実は「逃げ恥」もまた、ハンガリーに伝わる諺で、「恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことが大切」の意味だそうです。兵法の「三十六計逃げるに如かず」(檀道済)と同じ。逃げるしか無い時があるのです。

2.《真夜中の逮捕》 先ず身内に裏切り者がいて、祭司長の下役どもを手引きしています。時間も真夜中で、弟子たちは寝込みを襲われた状態です。日没と共に「最後の晩餐」があり、ゲツセマネに移動し、主が数時間(「一時」の3倍)祈った後、捕縛され、「鶏が鳴く頃」(午前3時頃)にペトロが否認します。この時間割から、捕縛の時が午前0時から1時と分ります。剣を抜いて、下役どもと戦おうとした弟子もいたようですが、イエスさまは武力抵抗を禁じてしまうのです。こう成ってしまっては、もはや逃げるしか無かったのです。

3.《赤裸々な信仰》 逃げるべき時があります。逃げるよりも悪いのは、見捨てることなのです。逃げることと見捨てることとは違うのです。『機動戦士ガンダム』等で知られる安彦良和は、若者が裸で逃げる場面とペトロの否認に、聖書の人間観を見ると語って居られました。土壇場で、人間の「裸」の姿が露呈してしまうのです。惨めな姿です。人間の勇気や決意など木っ端微塵に吹き飛ばされてしまうのです。恥辱の極みです。この敗北こそがキリスト教信仰の原点です。致命的な失敗、取り返しのつかないミスを犯すこともあるのです。しかし、そんな失敗も、イエスさまの愛によって赦されるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:55 | 毎週の講壇から