2020年05月04日

旭日亭菜単(続き)その57

  • 「オレンジだけが果物じゃない」(ジャネット・ウィンターソン著、岸本佐和子訳、白水社Uブックス)
    裏書きの「狂信的なキリスト教徒の母」等という文句から想像するのは、S・キングの「キャリー」の母親マーガレット、「霧」のミセス・カーモディだったりするのですが、そんなのはステレオタイプです。もっと複雑で人間味のあるキャラなのです。ヒロインのジャネットが、母親と共に通っているのは、確かに、原理主義的なペンテコステ系の教会(しかも、時代は1950年代)なのですが、ここに描かれる牧師たちや信者たちには、私なども「昔、こういう人、いたよなあ」的な親近感を抱きます。ともかく強烈な母親なのですが、最終章の「ルツ記」では、そんな母親との間に通う情愛も木目細かく描かれていて、虚を衝かれました。「わたしは神をなつかしむ。けっして自分を裏切ることのない存在をなつかしむ。わたしは今でも、神に裏切られたとは思っていない。神の僕たち?―そう、でもそもそも裏切るのが僕というものだ。神はわたしの友だった」。「神の友」は、アブラハムやモーセに冠せられた称号です。そして、イエスが弟子たちを「私の友」と呼ばれたことを考え合わせれば、中々意味深長な告白でもあります。
  • 「山怪/山人が語る不思議な話」(田中康弘著、ヤマケイ文庫)
    単独ビバークした経験のある人たちが、必ずと言って良い程に経験するのが「深夜の樵」です。大木を伐る斧やチェーンソーの音、倒木の音、その倒木を引き摺る音…。タヌキの仕業とされますが、これが普遍的というのが不思議です。この本の中には、私の生まれ故郷、兵庫県朝来市の猟師の体験談(「道の向こうに」)も掲載されています。朝来は但馬國なのですが、狩猟の世界では「丹波猟師」の活動領域とされるみたいです。私も子どもの頃、裏の山から、イノシシの両足を縛り太い棒にぶら下げて、猟師が駕籠かきのように二人組で担いで下りて来る姿を何度も目にしたものです。その山は我が家の所有でしたが、そこを移動する野生動物にまでは所有権ありませんからね。ともかく、山が異界(社会制度や人間の常識の外)と繋がっていることは間違いありません。
  • 「フランス怪談集」(日影丈吉編、河出文庫)
    お国柄でしょうか、9割方が「女怪」です。ゴーティエの「死霊の恋」は、何度も読んだ作品ですが、(その翻案と言っても良い)岡本綺堂の「玉藻の前」を経て、改めて読み直してみると、かなり萌えます。メリメの「イールのヴィーナス」が怖い。劇画的と言えるでしょう。マンディアルグの「死の劇場」も諸星大二郎の短編を思わせる作品でした。ドールヴィイの「真紅のカーテン」は、今や年老いた将校によって語られる、ニンフォマニアの美少女を巡る性愛と死の物語ですが、恐怖と官能が綯い交ぜの読後感、半端ありません。そして、ジュリアン・グリーンの「死の鍵」、「キリスト教文学」の範疇で採り上げられることの多い作家ですが、こんな怪奇小説があったのですね。
  • 「ぼくらの近代建築デラックス!」(万城目学×門井慶喜談、文春文庫)
    万城目学(映画化された「プリンセス・トヨトミ」の作者)は京都大学、門井慶喜(ドラマ化された「家康、江戸を建てる」の作者)は同志社大学の卒業生で、京都編が中核だと思います。二人とも貧乏学生時代には「進々堂」(熊倉工務店、1930年)でなんか喫茶できなかったと証言している話に、大きく共感。アニメ映画「夜は短し歩けよ乙女」では、ラストで「先輩」と「乙女」の初デート待ち合わせ場所に設定されています(原作者の森見登美彦は万城目と同じ京大)。残念だったのは、大阪編に「綿業会館」(渡辺節、村野藤吾、1931年)を2度に渡って採り上げながら、同じ会員制の「大阪倶楽部」(安井武雄、1924年)が無視されていたことです。バブル期に2階の「常食堂」(「花外楼」の直営店)で、私が企画してゼミの同窓会を開いた思い出の場所です。東京編では、妖怪レリーフ満載の伊東忠太(「築地本願寺」と一橋大学「兼松講堂」)、職人から叩き上げの菅原栄蔵(「ライオン銀座七丁目店」)に心を動かされました。「学士会館」裏の「新島襄先生生誕之地」の石碑、長男の高校の保護者会に行く度に合掌していたものです。
  • 「ドイツ怪談集」(種村季弘編、河出文庫)
    所謂「文豪」(クライスト、ホフマン、ティーク、ホーフマンスタール)に加えて、怪奇小説の定番作家(マイリンク、エーヴェルス)まで網羅されています。J・ティークの「オルラッハの娘」は、ルター派の農家の娘に、尼僧(善霊)と黒坊主(悪霊)が取り憑くエクソシスト物です。プロテスタント信者の娘に憑依するのが大昔のカトリックの修道女と修道士。古今東西、古い聖所(宗教施設)の上に、新しい聖所を建てるのです。それが、ゲニウス・ロキ(地の霊)を有効活用する方法です。それにしても、ドイツだけに宗教関係者の多いこと。「庭男」のH・H・ヤーンはオルガン職人、「三位一体亭」のO・パニッツァはユグノー教徒の子、「奇妙な幽霊物語」のJ・P・ヘーベルに至っては、ドイツ福音教会の監督です。その中でもお薦めは「三位一体亭」。何事が起こる訳でも無いのに、読了後に(「置き去りにされた感」とでも言いましょうか)最も奇怪な印象を受ける作品です。
posted by 行人坂教会 at 17:24 | 牧師の書斎から