2020年05月30日

ビハインド・ザ・マスク

1.ハクション大魔王

私たちが外出する際には、マスクが欠かせなくなりました。私などは、スーパーに買出しに行こうと、ドイツ陸軍放出品の背嚢を背負い、「戦車兵の歌/Panzerlied」を歌いながら、勢い良く家を飛び出したものの、権之助坂に上がる途中で、マスクをしていないことに気付いて、すごすごと退却したことの、何度あったことでしょうか。

スギ花粉アレルギーや寒暖差アレルギーを持っているくせに、私はマスクが大の嫌いで、滅多に着用しませんでした。勿論、インフルエンザの季節に、入院中の会員、高齢の会員をお訪ねする際には、必ずマスクを着けて行きましたが、プライベートでは、酷いクシャミに悩まされながらも、どれくらい遠くまでハクションが響くか、何メートル飛沫を飛ばせるか、それを楽しんでいたようなところがありました。

ところが、そんな私が今では、マスクを2枚重ねで着用しているのです。下には使い捨ての「不織布マスク」(この「不織布」という語も最近漸く発音できるように成りました)、その上にデザイン物の布マスクです(こちらは洗って再使用できます)。しかしながら、2枚重ねで着用していると、さすがに息が切れるのです。

最近では、暑さと湿気の余り、禿げ上がった額から汗が滴り落ちるように成りました。帰宅して、マスクを外したら、口髭から湯気が立ち上っていたこともありました。このまま行くと「熱中症」でダウンするのは火を見るよりも明らかです。聞くところによると、夏向けに保冷剤を入れる「ひんやりマスク」「冷やしマスク」も販売されたとの由。千円以上する高額商品ですが、今夏の必須アイテムに成りそうです。

2.マスクの裏の事情

さて「マスク」と言えば、思い出されるのが、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の名曲「ビハンド・ザ・マスク/Behind the Mask」です。つい先日、同じくテクノポップを代表する「クラフトワーク/Kraftwerk」の創設者、フロリアン・シュナイダー(Florian Schneider)が亡くなって、ラジオから「アウトバーン/Autobahn」や「ヨーロッパ特急/Trans-Europa Express」「ロボット/Die Roboter」が流れていました。それを耳にして、自然に、日本のYMOが思い出されたのでした。

「ビハンド・ザ・マスク」は、YMOの2作目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー/Solid State Survivor」(1979年)のB面1曲目に入っていた楽曲です(クリス・モズデル作詞/坂本龍一作曲)。1986年には、エリック・クラプトンが「オーガスト/August」の中でカヴァーしています。それに先立つ1982年に、かのマイケル・ジャクソンもまた、自身が別の歌詞を付けてカヴァー録音しています。アルバム・プロデューサーのクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の推しで「スリラー/Thriller」に収録されるはずが、なぜかボツに成り、結局、死後に発表された未発表楽曲集「マイケル/Michael」(2010年)で、私たちは初めて聴くことが出来た訳です。勿論、坂本がセルフカヴァーした12インチシングル(1987年)も忘れてはなりません。

「今あなたが着けている仮面(マスク)は/無表情で毛羽立っている/皺と涙、年齢と怖れ/年老いて行けば情熱も冷める/それは私?それとも、あなたか?/仮面の裏側で、私は尋ねる」。そんな歌詞です。「仮面/マスク」はケバい化粧のことだと言う人もいます(何しろ、1980年代後半はバブル期でしたから)。しかし、この楽曲が生まれた1970年代末の日本社会は閉塞感の方が強く、素直に感情や信条を表面に出せない、管理社会が到来することを警告していたように、私は感じています。そもそもアルバム名の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」には「全体主義的国家体制(あるいは管理社会)の中で生き残れるか!?」的な含みがありました。謂わば、ジョージ・オーウェルの『1984』的デストピア(暗黒郷)が表現されていたように思います。

3.素顔じゃない社会

これから私たちは、全く予想もしなかった形で「ビハインド・ザ・マスク」生活をしなければならないかも知れません。これまでも外出の際にはマスクを着用する人は大勢いました。しかし、医療や衛生、食品に携わる人はともかく、殆どの人は職場や学校、現場に着けば、素顔でいることが出来たのです。マスク着用が義務付けられる職場でも、休憩時間とも成れば、マスクを外して同僚と歓談できたのです。

これからは、他人(特に複数の)と接する時、マスク着用がエチケットに成るでしょう。私たちは素顔を隠したまま、社会生活をすることに成ります。YMOと同じ1970年代末に、ビリー・ジョエル(Billy Joel)は「I love you/Just the way you are//素顔のままの君が好きなのさ」と歌いました(私のカラオケの持ち歌でもあります)が、これからは、中々お互いの素顔を見られなくなるのでしょう。もしかしたら、余程、親しい間柄でない限りは「Zoom」「Line」「Skype」等の通信画像を通して、初めて素顔に接する等という、寂しい事態にも成り兼ねません。

キリスト教会も他人事ではありません。讃美歌を唱和する時、詩編を交読する時、主の祈りや使徒信条を唱和する時、しばらくはマスクを着用せざるを得ません。それは、いつまで続くのでしょうか。共に聖餐や愛餐に与る日は、いつ来るのでしょうか。その内、司式者の礼拝祈祷も、牧師の説教も「マスク着用で」と言われるかも知れません(既に講壇にはプラスチックシールドを設置しています)。

所謂「口角泡を飛ばして」の熱弁振るう牧師のイメージも、今や過去のものに成りつつありますが、これを機に本当に消滅してしまうかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2020年6月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など