2020年06月08日

命は人間を照らす光【ヨハネ1:1〜5】

聖句「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(1:4)

1.《無から有を呼ぶ》 「創世記」の天地創造は「初めに、神は天と地を創造された」と語り始めます。前口上など無く、何も無い所から、いきなり始まります。「やつらの足音のバラード」(園山俊二作詞、かまやつひろし作曲)を彷彿させます。そのことを、パウロは「無から有を呼び出される神」(ローマの信徒への手紙4章17節)と表現しました。私たちの神は何も無い所から、いきなり世界をお造りになった「創造神」だというパウロの信仰告白なのです。

2.《明日がある世界》 古代ギリシアの時代から「無からの創造/creatio ex nihilo」は哲学のテーマでしたが、アウグスティヌスは「無からは何も生まれない」と言いました。確かに「光あれ」の御言葉によって創造は始まります。但し、この光は陽光や月光ではありません。天体の創造は第4の日です。今日と明日を区別する「時間」が創造されたのです。「明日がある」とか「明日はきっといい日になる」と歌われるように、「明日」は希望の語です。神さまは「明日がある世界」をお造りになった。時間を通して、私たちを救いへと導かれるのです。

3.《光に照らされて》 「ヨハネによる福音書」の言う「初めにあった言(ロゴス)」こそは「光あれ」の御言葉でしょう。キリスト・イエスは「命の言葉」「人間を照らす光」として世に来られました。父なる神による創造の御業、子なるキリストによる贖罪の御業、聖なる霊による救済の御業、この3つは1つと告白するのが「三位一体主日」です。「ペンテコステは教会の誕生日」と言いながら、殊更に世の滅びを語り、審判や選別を強調して、人々の心を脅かすのは、愛の業を託された教会に相応しくありません。「世の光」「光の子」として、暗い世界の一隅を照らしなさいとの主の御言葉に従って参りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:54 | 毎週の講壇から