2020年06月12日

旭日亭菜単(続き)その58

  • 「短編ミステリの二百年vol.1」(モーム、フォークナー他著、小森収編、深町眞理子他訳、創元推理文庫)
    編者の小森収による論文が巻末にあります。でも未だ序章と1章だけなので、このシリーズの続刊に載るのでしょう。結構、読み応えがあります。さて、「ミステリ」と聞いて、単純に本格推理物などを期待して貰ったら困りますが、本書収録の諸作が面白くないはずはありません。ウールリッチの「さらばニューヨーク」は「暁の死線」に匹敵する名作です。スティーヴンスンの「クリームタルトを持った若者の話」には奇譚の面白さが、イーヴリン・ウォーの「アザニア島事件」には三面記事の面白さがあります。実は、冒頭のリチャード・ハーディング・デイヴィスの「霧の中」には見事に騙されました。「つまんねぇ話だな」と思って読み始めたら、語り手がリレー形式に成っていて、何回も引っ繰り返されてしまうのです。ラニアンの「ブッチの子守歌」、こういう語り口も好きだなあ。
  • 「ヤービの深い秋」(梨木香歩著、小沢さかえ画、福音館)
    「小さい人たち」ヤービの一行と「大きい人たち」ウタドリさんの一行とが、それぞれ別の理由で「ややこし森」(人間は「テーブル森林渓谷」と呼んでいる)の「テーブル・マッシュルーム」を探しに行くのです。「キノコのために作曲をしている」と言ったのは、現代音楽の巨匠、ジョン・ケージだったでしょうか。その昔、著者に薦められて『ジョン・ケージ/小鳥たちのために』(青土社)を読んだ事が思い出されます。その後、私もキノコ粘菌系のホラーに深い愛着を覚えるように成りました。「キノコホテル」のマリアンヌ東雲も大スキです。やはり、子どもと一緒に自然の中に踏み込んで行く事(大人は事前の経験と準備が必要ですが…)、これが子どもの成長に必要なのです。それが前提で、この決め台詞があります。「成長する子どもを、だまってかたわらで見守る。…だまって、というのはむずかしいことですがね。彼らが成長したい方向へ成長するのを手助けする、といった方がいいかもしれません」。
  • 「幽霊島/平井呈一怪談翻訳集成」(A・ブラックウッド他著、平井呈一訳、創元推理文庫)
    メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」と同じく、レマン湖畔の「ディオダティ荘の怪奇談義」がキッカケに成って生まれたとして有名な、ポリドリの「吸血鬼」、初めて読みました。つまんねぇ。歴史的作品として読むべき課題に過ぎません。但し、こんな作品も平井翁に翻訳して頂いているから読めるのです(感謝)。吸血鬼物なら、ローリングの「サラの墓」やマリオン・クロフォードの「血こそ命なれば」「死骨の咲顔」でしょう。「塔のなかの部屋」のベンソンは、カンタベリー大主教E・W・ベンソン(キプリアヌス研究の著書があります)の息子、「のど斬り農場」のベレスフォードも牧師の息子、「ライデンの一室」のバーラムは王室礼拝堂付きの牧師、M・R・ジェームズは言わずと知れたケンブリッジ大学の聖書学者です。現代の牧師たちの中からも怪談作者が出ることを望みます。フレンド派のハーヴェイによる「サラー・ベネットの憑きもの」が収穫でした。殺戮の戦場であっても、青空には小鳥の囀る残酷を「ルカによる福音書」16章26節の聖句から説き起こす件が面白かった。ブラックウッドの表題作は勿論、底知れぬ怖さがあって絶品です。
  • 「鬼滅の刃」第1巻「残酷」〜第6巻「鬼殺隊柱合裁判」(吾峠呼世晴作、集英社)
    評判なので、二男のコミックスを借りて読んでみました。大正時代に日本刀を振り回す登場人物たちは『るろうに剣心』(「るろ剣」は明治時代だけど)ですね。家族を鬼に皆殺しにされた炭治郎が天狗の面を付けた老人の下で修行し(『ドラゴンボール』の孫悟飯じっちゃんが狐面を付けていたのを思い出す)、「鬼殺隊」入隊の最終選抜試験(『HUNTER×HUNTER』)をクリアして、更なる修行によって呼吸法を身に付けてレベルアップ(『ジョジョの奇妙な冒険』の波紋とか『H×H』の念能力とか)…。「ジャンプ」系マンガの王道です。善逸(『ソウルイーター』のクロナを思い出させるトリックスター)や伊之助(猪の被り物の下は美少年、『もののけ姫』か)といった同期の剣士たちと行動を共にするように成って来て、俄然エンジンが掛かります。でも、やはり、この作品の最大の魅力は、炭治郎が背負う笈(木製の箱)に入っている禰豆子の存在でしょう。妖怪の「折り畳み入道」や江戸川乱歩の『押絵と旅する男』を思い出します。手毬を操る童女の鬼、朱紗丸と禰豆子が戦う場面では、二人とも着物の裾捲くり、親爺世代はこれが一番楽しかったりして…。
  • 「夜鳥」(モーリス・ルヴェル著、田中早苗訳、創元推理文庫)
    先の「フランス怪談集」に「或る精神異常者」が入っていて、昨年夏に京都の一乗寺の恵文社で購入したまま未読だったのを思い出した次第です。リラダンの流れを汲む「残酷物語/Contes cruels」として紹介されますが、フランスのジャン・ローラン監督の短編映画と似た淫靡な感触があります。麻酔の効かないままの手術(「麻酔」)、猛犬、狂犬に噛み殺される間男(「犬舎」)や不義の子(「生きぬ児」)、稲穂刈りの大鎌(サイス)で首チョンパされる姦婦と間男(「麦畑」)…。ルヴェルの残酷は愛から生まれたものばかり。とりわけ、愛人に硫酸で顔を灼かれて失明した男が、彼女の罪を許して告訴を取り下げたものの…(オチの言えない)「暗中の接吻」、死刑を求刑した男の冤罪に苦しんだ検事の後半生を描く「自責」等は皮肉に満ちたドンデン返しです。乞食が盲目の乞食に施す「幻想」は、チャップリンの『街の日』を思い出しますし、1人の子どもを取り合った挙句の「二人の母親」は、「列王記上」3章、ソロモン王の「大岡裁き」の遠い谺を思わせて、独特なペーソスがあります。
posted by 行人坂教会 at 21:05 | 牧師の書斎から