2020年07月13日

女やもめに花は咲くか?【マルコ12:41〜44】

聖句「皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(12:44)

1.《プレゼント》 米国のクリスマスソング「リトル・ドラマー・ボーイ」では、貧しい少年が小太鼓を叩いて、御子イエスの誕生を祝います。アナトール・フランスの小説『聖母の軽業師』では、修道士に成った元軽業師が聖母を讃えるために礼拝堂でジャグリングをします。それを見咎めた他の修道士たちは「冒瀆」と非難しますが、聖母が祭壇を降りて来て、軽業師の汗を拭うのです。

2.《砕かれた心》 何を奉げるか、幾ら献金するかではないのです。神の御前に自分自身を投げ出すのです。それを「献身」と言います。それこそが信仰の核心です。「詩編」51編では「打ち砕かれた霊」「打ち砕かれた心」と言われます。世間では「もう心が折れてしまいそう」と否定的に言われますが、信仰の世界では、心の折れた人のみが御前に進み出ることが出来るのです。エゴイズムに満ちた人や自信満々、得意満面の人は御前に近付くことすら出来ないのです。自らに絶望した人だからこそ、神さまに希望を託すしかないのです。

3.《生活費全部》 ある貧しい寡婦が神殿の賽銭箱にレプトン銅貨2枚を入れました。「レプトン」とは「薄い物」、当時の最小単位の硬貨でした。今風に言えば「ワンコイン」百円です。2千年前の聖書に「生活費/ビオス」という語が出て来るのが驚きです。「ビオス」には「人生、生涯、生活」の意味もあります。寡婦の生活の行き詰まりが偲ばれます。暮らしが成り立たない、生計が折れてしまっているのです。ここには何も安易な解決策は提示されていません。イエスさまも彼女を見詰めているだけです。けれども、苦しみや悲しみの中から注ぎ出されるものに、主なる神さまは目を留めて居られるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:00 | 毎週の講壇から